2003年08月07日(木) 今日も集会の真ん中に
「話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、 イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩 いておられた」ルカ24:15 ★二人の弟子が、主が十字架にかかって死んで しまわれたので、なすすべもなく、失望と絶望 で、とぼとぼと郷里に引き揚げていた。 そのエマオ村への途上に、何と、よみがえられ た主が現われ、共に歩まれ、二人の弟子に語り かけられた。 面白い光景。イエス様のことを二人が話題にし ているところへ、その本人が現われ、何を話し ているのかと聞き、二人は、イエス様に向かっ て、え?あなたはイエスの事を知らないのかと、 不思議がるという・・。 そして、エルサレムで起こっている出来事を話 す。イエスに望みをかけていたが、だめだったと。 主は彼らの不信仰な心に、御言葉を語り、心が 熱く燃えるようにして下さった。そして、彼ら の目を開かれた、その時、彼らには主がわかった。 失望と落胆を、信仰と希望に変えられた二人は、 非常な喜びで、方向転換、エルサレムに引き返 して行った。 ★二人の弟子が語り合っている、その時に、主が そこに加わられ、共に歩かれた。 これがいつも集会の中で、起こっていること。 私は、題材を準備するが、それを語り、一緒に学 ぶその真ん中に、イエス様がおられる。 皆で、学んだことを語り合う、その中で、更に深 く霊のことが、どんどん解き明かされて行く。 これはイエス様ご自身だ。 いろんな姉妹達が、それぞれ自分の立場、状況で、 違う角度から教えられたことを語る。次々と光が 射し込む。ああ、なるほど・・。 同じ学びをしても、一人一人が全く違う面で教え られる。そして、教える私は、必ず一人一人の姉妹 達から教えられる。 真ん中におられる、イエス様の解き明かしのゆえに。 エマオ途上を歩まれた主は、今、集会の中に共に おられ、歩んで下さっている。そして、御言葉を、 霊のことを解き明かし、更にわからせ、心を燃え させて下さっている。 集会が楽しい。この解き明かしの主ご自身に、出会 える楽しみと喜びと期待のゆえに!! 「ふたりでも三人でも、わたしの名において集ま る所には、わたしもその中にいるからです」 マタイ18:20 by 多恵子