2003年08月01日(金)
  認めたくない古い自分

D子ちゃんが話してくれた。「私、心をごまかしている。
その人が<嫌い>なのに、神様の前で、その人が<苦手>
ですと祈る。うま〜く自分の心を痛くないように守ってる。
人を嫌う自分を、自分が認めたくない。自分はそんな人間
だと思いたくない。

根は<嫌い>なのに、でも、その人のこんな良いところも
あるしい、と思っている自分がいると、自らを慰め、心で
うやむやにし、ごまかして安堵する。それを神様の前でやる。

醜いまま、汚れたまま、何もかも受け入れて下さっている
ことが、頭ではわかっているのに、神様の前で良い子であ
ろうとしている。

それに、認めてしまえば、終わりで、次にどうなるかがわ
かってる。自我を捨てて前進して行かねばならないことが
わかってる。神様は愛を与えて行って下さるのはわかる。
しかし、そうしたくない自分がいる。つまり愛したくない
のだ。<嫌い>なのだ。本当にごまかしている。


ある人が話してくれた。昔、クリスチャンだから、勿論、
将来は結婚ということを踏まえて、異性と交際をしていた。
主に在って、交際が互いを高め合うものであるようにとの
思いで、良いお付き合いをしていた。・・つもりだった。

ところが、長期休暇で、しばらく離れる時間を経た時に、
相手への思いが失せて、全く無くなってしまっていた。
自分でどうする事も出来ない。何がどうなったのかもわ
からない。
気持ちを自分でどうしようとしても、もう、どうにもな
らないので、その気持ちを正直に相手に告げた。
相手は受け止めてくれて、その交際は終わった。

自分も苦しみに苦しんで、自分の内で出口がなく、解決
がなかった。
冷静な時間を経てみると、本当の思いでなく、一時的な
感情の高まりであったことがわかった。本当に好きとい
うのではなかったことがわかった。

その時に、解決が無く、出口が無く苦しんだのは、自分
がそのような不誠実な人間であると、信じたくない、
絶対に認めたくなかったことにあった。

自分は男女交際に際しては、絶対に誠実で真実でありた
いと思っていたし、自分はそうだと信じていた。
しかし、結果的に不誠実、それが紛れもなく、自分であ
った。愕然とした。余りのショックで信じられなかった。
それを認めた時、問題が解けて、何もかもがわかった。

しばしば、問題の解決が無い、光が見えないのは、本当
の自分を認めようとしないから。何か薄々わかっていて
も、そうでない振りをしている。認めたくないから、突
きつめない。

自分がこんなだと、信じたくない、思いたくもない、本
当の自分がいる。
自分の弱さは見たくない。直視したくない。<出来ない>
でなく、そう<したくない>強情な自我。
自分はもっと良い人間のはず・・。こんなじゃない・・。

しかし、現実をしっかり直視し、向き合わない限り、
うやむやに、ごまかしている限り、何の解決も信仰
の進歩もない。そこで止まったまま・・。
by 多恵子