2025年11月05日(水)
「お腹いっぱい」
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福音を伝えていた時、
ある人が言われた。
「今、やっと、ずっとしたかった事、願って
いた事が、実現して、喜びでいっぱいです。
生活が、楽しくて〃、すごく充実した毎日な
んです。
お腹がいっぱいで、入らないです。
満腹の時に、豪華なご馳走でも、入らない
ように、今、そんな感じです」と。
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Aさんが「今までで、厳しい苦しく辛い事を
通りました。
何で、こんな事がと、絶望のように思いま
した、
でも、それらがあったから、教会に来れて、
イエス様のもとに来て、救いを受けました。
その苦しみが無ければ、来ていないです。
幸せの中にいたら、必要が無いです。
だから、辛く苦しい事が、感謝なんです。
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「苦しい時の神頼み、楽しい時の神離れ」
救われた後も、順境だと、順風満帆だと、
主に頼らなくても、生きて行けるので、
自分の力で、やって行けてしまうので、
自分で生きて行く。
肉は強く、根深い。
そうしていて、気づかない。
外側、信仰者なのだが、主に頼らないで、
生きて行ってしまう。
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ある例えがあった。
自分で歩んでいる時、主は、ご自身の方を
向かせたい。
ビルの工事現場の例えで、下を歩いている
人に、危険があり、上を見て欲しい。
その時に、小さな小石を落とした。
小さ過ぎて、落としても、人々は気づかない。
そこで、中くらいの石を通過する、
それなら気づいて、上を見上げる人々が。
しかし、それでも気づかなければ、大きな
石を持って来られる。
気づかせるために。
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懲らしめは、主の愛だ。
放っておかれたなら、糸の切れた凧の
ように、どんどん世にまみれて行ってしまう。
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痛みを通して、気づけることは多い。
今までも、沢山のことを気づかせて下さった。
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「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うとき
は、それをこの上もない喜びと思いなさい。
単に、喜びでなく、「この上もない」喜びだと。
試練により、忍耐が生じ、忍耐を働かせる
ことにより、成長を遂げた感っ全な者と
なると。
何よりも、豊かな恵みが、
「成長させて下さる」こと!!
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