2011年09月04日(日)
  「今日一日だけ」

「あすのための心配は無用です」
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」

現在74才のAさん、ご主人を20年前に亡くされ、
莫大な借金残され、どうにも出来ずに破産宣告。
全くお金無く、身を粉にして、ひたすら働きに働かれ
定年の時期にリストラに。

以前から教会のチラシを見て、来たかったが、
仕事で来れなくて、その時に、教会へ来られ、
イエス様を信じられた。

リストラ後、年齢の事もあり、仕事を探せど、探せど、
全く無い。当然、収入は無い。数ヶ月経るが無い。
教会の皆も、必死に祈る。
Aさんも祈りに祈られ、聖書を読んでいた時に
「心配したからといって、自分のいのちを少しでも
延ばすことができますか」が心に臨んだ。
ほんとに心底そうだ!その通りだ!!と思えて、
心配を止めたと。
その霊でありいのちである御言葉がまさに、
いのちとされた。

「わたしがあなたがたに話したことばは、
霊であり、またいのちです」ヨハネ6:63

主の口から出る一言の御言葉で、真に人が生か
されることを見せられた。
Aさんもそれを受け取ること、信じることを選択された。

Aさんは、その日から全く思い煩いが無くなった!
完全に無くなったと。
そうすると、少なくとも、「今日」食べる物がある。
飢えていない。身体が守られている、生かされている
と思うと感謝が溢れて来て、感謝と喜びの日々に
なったと。

「まあ、私が仕事が無いのに、収入全く無いのに、こう
やって喜んでいるので、家の中、明るいんですよ!

それがまあ、近所の方が家庭菜園の野菜を、次から
次へと下さったり、魚釣りに行くおじさんが、持って
来てくれたり、次々、不思議に食べる物も与えられる
んですよ。これ、神様ですよねえ!!」

「あすのための心配は無用」
つまり一生の間、今日一日だけ生きたら良いわけだ。

なぜなら、明日が明日になった時には、「今日」に
なってるわけだから。

だから、今日食べ物があり、飢えてはいない!今日
身体が守られている!
それを感謝して、感謝して歩めば、一生の間、
ずうっと感謝して歩める(^^)
何と幸いだろう。