2012年05月08日(火)
  「無力」

「介護がものすごく大変なんですが、この事を
通して、自分が変えられている事を知れて
感謝です。

体力的にも、あちこちにガタが来て、膝がやら
れて、痛みが取れず、ずっと湿布です。
肩はずっしり重く、身体はガタガタです。」

「休む時間が無いから、蓄積疲労ですよねえ。
疲れが取れない内に、次々と動かないといけ
ない。油が切れて、金属疲労みたいになります
ねえ」

「そう!そんな感じ。身体の油が切れてる(笑)」

「精神的にも、最初は親のネガティブな言葉が
どうしても嫌で、聞けなくて。
“面白い事が何もない”“つまらん”“死んだ方
がまし”“食事が美味しくない”“来る回数が少
ない”・・

つい、『まだこうやって食べられること、歩ける
こと、身体が守られていることが感謝なんだ
から!感謝したら!』と言ってしまって。
自分を押しつけただけで、自己嫌悪になり、
帰りが暗たんたる気持ちになって、行かなきゃ
良かったと。

そんなところを通りながら、でも、変えられました。
身体もガタガタだけど、神様の御手の内だから、
もうすべて委ねているので、今の身体の状態
もご存じで、神様が一番良いようにして下さると。

だから、思い煩いが無いです。自分の身体も、
介護のもろもろも、明日がどうなるか、全然自分
には見えないし、わからない。
だから、あれこれ考えても、神様の御心が成る
わけじゃないですか。それが私のために最善で。

親のネガティブな言葉も、脳の衰えで、仕方
が無いと受け止められるようになって。
それで帰りも心が明るいです(^^)

最初、倒れて介護が始まった時には、もう
心が重くておおいかぶさって来るようだったが、
今は、感謝です。
もう高齢で、見送るまでに、こうやって精一杯
思い残すことなく、世話できる機会が感謝だと。
何だかほんとに変えられました。婦人方にいつも
聞いてもらい、祈ってもらっていて、やって行けます。

根本的には『自我』ですねえ。自我が強くて
強くて、神様はこの自我を砕きたかったんだと。

あの強い自我のままで、介護していたら、
神様を知らなかったら、もうどうなっていたか
わかりません。
本当に心底、神様を知っていて良かったと(*^_^*)
この事があったから、自分の内側を知れて、
感謝しかないです。

心底の無力を知れたことが良かった。まだ余力が
あれば、神様に頼れないし、祈りながら、自分で
走り回っていたと思います」

ほんとに委ねて、明け渡しているAさんを通して
明け渡すということがどんな事かを見せられている。