2014年04月07日(月)
  「へりくだる」

「自分の善かれという思いと、神様の思いが
合っていない、違うことを気づかせられます。

仕事で、自分の技量を磨いて、どんどんスキル
アップし、上達することが、立派によくできることが、
神様の栄光を現わすことだと、自分は思う。

努力して、与えられた仕事が、よく出来ることが、
神様の栄光だと思う。

それで、技術を身につけたいし、よりよく仕事を
するために、将来のためにも、いろんな経験を
積みたい。

自分は、そう思っているが、それが状況はどんどん
違う方向へ行く。
経験を積む機会どころか、もっとベテランの他の
方々が入って来て、自分よりずっとよくできるし、
技能を持っているし、自分は必要無いのではと。

そして、なぜか失敗ばかりして、何でこんな事が
できないのかというほど失敗ばかり。

その状況になって、そんな現状を告げて祈って
いると、立派に仕事をしたいという動機が、
「自分が」「自分が」で、自己実現、自己満足、
結局、神様の栄光じゃなく、自分ではないかと。

そして、神様が思われる、神様の栄光って、
もっと違うものじゃないかと、気づかされて。

自分はバリバリ仕事をする事が、栄光だと思って
いたが、自分のプライドが砕かれる、いろんな場面
に遭遇し、自分の自我の強さ、頑なさを見せられて。

自分のプライドが砕かれ、自分自身が折られて
ゆくこと、それが神様の栄光なんだと、今、教えられ
ています。
自分を折って、へりくだって行くことが栄光なんだと。

“キリストは、神の御姿であられる方なのに、神の
あり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と
同じようになられたのです”

・・自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の
死にまでも従われたのです”ピリピ2:6


この自我、プライドが砕かれないと、神様がわから
ないし、的はずれだし、間違った方向へ行くし、
何も始まらないですよねえ。
砕かれることが、本当に感謝なんだと教えられて
いて、感謝です。

そこに立っていると、思い通りにならない事、自分
に出来ない事、自分の弱さ、それらがすべて
砕きのためであって、感謝に思えます。」


日常生活を、ずっとそこに焦点を当てて見ていたら、
すべてが平安で、感謝になりますよねえ。