2014年10月08日(水) 「ありのまま祈ると」
「神の時を待つ」のは、ものすごく忍耐がいる 訓練ですね。 訓練されているんですよね。 これが待てないんですよね。 つい早く、早くと焦ってしまって。 更には、本当に、「神の時」が来るのだろうかと ふと、疑いや不信仰が来て。 現状だけ見ていたら、とてもじゃないが、実現 するように思えない。 親族の救いは、現実だけ見ると、関心無いし、 これからも持ちそうに思えず、へこみそうになる。 思い煩いそうになるし、不安になる。 でも、奇跡が起こるのは、不可能の土壌に おいてなんですよね。 進路とかも、今は、全く見えないから、ほんと にちゃんと導かれるのだろうかと、見えるところ だけを見ると不安になる。 でも、御言葉に帰ると、必ず導くと言って 下さっている。 先が全く見えない中で、信じて行くのが信仰 なんですよね。 でも、不思議を経験します。 とにかく、そのままの気持ちを正直に祈って行く んです。 『不安です。 見えるところしか、見ることができません。 思い煩ってしまいます。 ほんとに約束が成就するのだろうかと思って しまいます。 不信仰な者です。 落ち込んでしまいます・・。』 そのままに、祈って行くと、心が落ち着いて来る んです。 更に祈って行くと、何だかすっきりして、神様が 聞いて下さったと思えて、平安になって来て。 現状は変わらず、問題もそのままなんですが、 心が平安になって、そして、神様が何とかして 下さる、大丈夫だと、思えて来る。 神様の時に、神様ご自身が成し遂げて下さる と。 自分では絶対に、そう思えないから、奇跡で、 神様のみわざです。 御言葉を体験させられ、感謝です。」 “何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を もってささげる祈りと願いによって あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい” “そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安 が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって 守ってくれます”ピリピ4:6