2015年02月16日(月)
「我慢」とは
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昨秋に、海外から遊びに来てくれたAさん。
思い出の中で、「我慢」ということで、お話して
下さったことに、とても恵まれた。
以前、ひじを痛めて、ワイヤーを何本も入れる
かなりの手術をされた。
そのリハビリをされていたが、大劇痛が伴う。
手術後は、このひじが、この先、曲がる事など
あり得るのだろうかと、いうほどの感じでしたと。
数週間たっても、少し曲げるだけで、また腕が
折れたのかと、飛び上がるほどの、劇痛でと。
もうとにかく祈りに祈って。リハビリの痛みに、
必死に我慢したと。
イエス様、痛い!痛い〜!!!と、訴えながら。
余りの痛さに、涙が出る。しかし、主よ我慢です!!!
と祈りながら。
ずっと祈り、祈りながら、我慢に我慢を重ねていた
時に、ふっと、イエス様が言われた。
どうして我慢するの?
我慢の「我」は、自我の我、我慢の「慢」は
高慢の慢だよ、と。
その途端、目からうろこで、我慢しなくてよいのだ!
心が変えられて、解き放たれ、嬉しくなった。
リハビリは、その後も大劇痛だったが、
「イエス様有難うございます。」「イエス様、お願い
します。」「イエス様が出て下さい」と、祈りも変え
られた。
頑張って、我慢している時は、イエス様の愛を
受け取っていなくて、拒んでいることに気づか
されましたと。
結構です、自分がしますと、言っていることだと。
絶えず、主の愛を受け取って行けますように。
主の愛にとどまれますように。
“父がわたしを愛されたように、わたしもあなた
がたを愛しました。
わたしの愛の中にとどまりなさい”ヨハネ15:9
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