2015年10月05日(月)
「思い煩い」
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Aさん「日常生活で、心が重く、しんどく、気力が無い事に
気づいた。
なぜだかわからないが、心が暗く、沈む。するべき
事は様々あるのに、何も出来ない。
どうしても気力が湧かず、わかっているが出来ない。
また、その出来ない自分を、自分が責める。
更に気持ちがしんどくなる。行き詰まってしまい、祈っ
ていると。
“思い煩い”に気づかされた。
無意識でいたが、多くの事を思い煩っていた。
明日のこと、明後日のこと、更にその先のこと。
思い煩いに覆われてしまって、身動きがとれなく
なっていた。
一つ一つ主に委ねて、明日を委ね、明後日を委ね
先を委ねた。
その時、心が軽くなって、気力が湧いた。そして、なす
べき事をすることができた。
Bさんも、聖書を読めず、祈れない。
御言葉が全く入らない。しんどくてたまらない。気持ちが
重苦しくて、閉塞感で、押しつぶされそうに感じる。
心が暗く沈み、重苦しくてたまらない。
そんな時、平日の集会で、思い煩いだと気づかされる。
祈りの時に、一つ、一つ、自分の重荷、心配事、心に
ずっしりあるなすべき事、主に告げて行った。
その時、心がすっきりし、平安になった。
自分でも驚いた。御言葉がどんどん心に入って来て、
息を吹き返した。
種まきのたとえで、いばらが伸びて、芽をふさいでしまう
が、思い煩いが、御言葉をふさいでしまうことを教え
られた。
目の前の事柄を、神様が飛んで、自分で何とかしようと
するから、自分の肩に何もかもがかかり、重苦しくなる。
できないので思い煩う。
自分でしようとせず、まず祈ることを教えられる。
“何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝を
もってささげる祈りと願いによって、あなたがたの
願い事を神に知っていただきなさい”ピリピ4:6
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