2016年03月12日(土)
  「平安へと」

神様が祈りに答えて、心の悩みを導いて下さる
ことを何やかや話し合っていた。


「いやな人がいて、思い出すと腹が立って仕方が
ない。
忙しい時は忘れているが、ふと思いに浮かぶと、
怒りが湧く。嫌で嫌でたまらなくなる。
サタンもあおって来る。
平安はなく、心はどんより思くなる。

この事について祈っていた時、ふと、こんな平安
の無いことを思っていたくない。
自分はイエス様のことを思って、時間を過ごし
たい。
それがもう切実な思いとなって、神様への重いが募り、
感謝でした。

“あなたがたは、地上のものを思わず、天にある
ものを思いなさい”コロサイ3:2

“上にあるものを求めなさい”3:1

イエス様を思って、生きて行きたい、でも、その
ように切実に思えたのも、逆のことがあったから
で、益として下さったんだなと感謝でした。

順境だけの日々なら、イエス様を思うのでなく、
流されて、のほほんと、気楽に生きていたと
思います。」


「同じようなこと、経験しました。対人関係で、大きな
悩みの中にいました。
辛く当たってくる相手がいて、いじめ状態でした。
妬まれているんだろうなと、わかりました。
辛くて、苦しくて、帰宅すると涙が溢れました。
帰っては泣いてました。

そんな相手に対して、憎しみが湧いてきて、赦せない
思いでいっぱいになる。
すると、その思いに縛られて、また苦しくなる。
平安が無いし、自分が苦しくてたまらない。
赦せない相手がいるということは、辛いことです。

でも、赦せないんですよね。こんなに苦しいなら
赦したらいいのに、赦したくない。
心は重く、胸に鉛を抱えている感じなんです。
ずっと祈ってはいたんです。

余りに辛くなった時、ふっと自分は一生をこの
相手にコントロールされるのはいやだ。
憎しみで、支配されるのはいやだ、と心底思った
んです。
神様に支配されて生きて行きたいし、平安でいたいと。
助けて下さいと祈って。

その時、赦す決心をしたんです。相手を赦そうと。
それが!その時にその苦しみから解放されました。
自由になって、もう心が平安になって。
喜びが湧きました。
赦すって嬉しいことなんですね。」

主は平安へと導いて下さること感謝です。