2016年08月10日(水) 「自分の姿を見せられて」
日々の対人関係の中で、様々教えられ、砕かれ、 学ばせられる。 「難しい対人関係があって、ずっと祈り、祈りつつ 自分なりに仕えて来たんです。 その対人関係があるからこそ、助けを求めて祈るし、 導き求めるし、自分の目の前に置かれた、神様 からの取り扱いと受け止めることができて。 自分では出来ないので、祈りながら、接して来た んですが。 先日、ちょっとした私のミスでの出来事があり、その時に、 自分にとって、ものすごく傷つく言葉を言われてしまい、 もう立ち上がれないほど、辛く悲しかったんです。 その時、心の中で、この人は幾ら仕えても変わらない。 これから先も、この人はこうなんだろう。もう仕えて行く 自信がない・・そんな事を思ったんです。 それで、同じミスをしないよう、どうすれば良いかを 対応策を一生懸命考えて。 二度と無いようにと、そればかりだったんです。 今日、学びをしていて、自分の恐ろしい高慢に気づ かされました。 自分が相手の上に立って、自分が、この人はいつもこう、 これからもこう、と決めつけていて、思い上がり、相手を 見下ろしている、高ぶりです。 ミスをどうこうするノウハウの問題でなく、自分の高慢 を悔い改めます。」 「あー!私も一緒です。自分では仕えてるんですが、 もう相手は、全然変わらないと思ってしまって。 これから後も、変わらないと思って、下向きになって 行ってたんですが。 ああ、私の高慢です。相手の上に立って、どうこう 思っていて。 悔い改めます」 「後日談があって、あの後、自分自身も平安にされ て、相手も変わったように、こちらへの思いやりを 示してくれて、神様のみわざです。 神様の働きを感じます。やはり自分の問題だという 事を教えられます」