2016年11月04日(金)
  「赦すこと」

人を赦すことほど、難しい事は無いと
語り合っていた。

Aさんは、難しい対人関係で、辛く当たられ続けた。
しかし、とてもじゃないが、反撃などできる
状況でなく、耐えるしかない環境だった。

ただ我慢するのは、内側に鬱積するばかりで、
それは憎しみとなって行った。
決して表に出すことはないが、強い憎しみだった。

だが、それを抱いている自分は、辛くて苦しくて、
胸の内に、常に大きな重い苦しい荷を抱えていた。
いつも苦しかった。

主を信じ、救われた時に、その苦しみを祈り始めた。
苦しいのに、憎しみを握って放さない自分を知った。
自我の強さを思い知らされた。
だが、憎しみを抱えていることは、苦しい日々だ。

祈り続けていたある時、「さあ、向こう岸に渡ろう」
との御声を聞いた。

憎しみの向こう岸に渡ろうと。
それから、環境が動いた。今まで、微動だにしなかった
外側が動いて、状況に変化が起きた。
主がそのように動かされ、助けられたと感じた。
それがあって、赦すことができた。

心の鉛が溶けて、心に安堵と平安が広がった。
人を憎むことの辛さと、赦されたことの大海原のような平安
を経験した。


Bさんは、相手の妬みから、いじめに会った。
しかし、その先は、契約した仕事なので、途中で辞める
わけに行かず、契約終了までは、続けなければならない。

涙、涙の日々だった。
どうしてこんな目に会うのか、辛くて、苦しくて、悲しくて。
家に帰っては、涙が止まらなかった。

赦せない思いが湧き上がる。相手への憎しみとなる。
その赦せない思いが、自分を苦しめる。
平安が無く、苦しく、辛い。

赦せない思いで一杯の時、それなら、一生相手に
縛られ、コントロールされる事になると、示された。
絶対にそんな事、嫌だ。
絶対にそっちへは行きたくない。

祈りの中で、相手を赦すことを選んだ。
その時に、解放された。心は自由になり、喜びが溢れた。
自分を取り戻した。

赦すことを意志で選択する時に、御霊の力が来て、
御霊が助けて下さることを経験した。