2017年03月04日(土)
  「刺繍の裏」

   「刺繍の裏」

よく人生は、刺繍の裏だと言われている。
どんなに見事な完成品であっても、裏から
見ると全くわからない。
理解不能だ。

ぐじゃぐじゃ、ごちゃごちゃ、混乱状態だ。
全くの意味不明。

この色とこの色が、何でここにあるのか。
何でこんなにも絡んで、重なっているのか。
全く綺麗でなく、むしろ汚い。
すべての糸と色が、無意味にそこにある。

しかし、ひっくり返して、表を見ると、
素晴らしい風景が描かれている。
この木々、この山々、この花々のために
この色が、あの糸が、そこにあったとわかる。
一目見て、いっぺんに理解できる。

私たちの人生も同様で、人生途上、起きる出来事
で、意味がわからない事が様々ある。

なぜ、この事が起きたのか。どうしてこうなっているのか。
なぜ、自分の生い立ちはこうなのか。
いろんな、なぜ?・・ どうして?・・

天国に帰った時に、完全にその意味を知るとある。


“今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、
その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。

今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が
完全に知られているのと同じように、私も完全に知る
ことになります”Tコリント13:12

今は、刺繍の裏しか見えないが、かの日には表
から、はっきりと、鮮明に、明らかに見ると。
意味や、目的を知り、驚嘆と共に主の御名を崇める。


この世においても、御心のままに、起こる出来事の意図
やご計画を教えて下さる。
沢山の事を学ばせて下さる。

振り返って、何でこんな事が、これは一体何?という苦しい
事態に遭遇するが、そのずっと後に、更に重大な事態に
遭遇する事になる。

その時に、対処、対応を以前に学んでいるので、向き
合うことができる。あの時、その事を経験していなければ、
通っていなければ、どうなっていたかわからない。

苦難を通った事を、心の底から感謝できる。
あの時、通って良かったと。

一つとして無駄な糸も色も無いことを知る。