2017年04月08日(土) 「重荷とはならない」
主は、日々の歩みを力強く、導いて下さっている。 「私、日々神様に救われています。ほんとに感謝で ならないです。 デボーションが、どうしても出来ない時がある。 祈ろうとするが、疲れ過ぎて祈れない。 身体はクタクタのヘトヘトで、もう消耗しきって 聖書も読めない。 そんな時、自分の力でしようとすると、デボーション がお勤めになる。 潤いも、喜びもなく、義務で、まさに放蕩息子の 兄息子だ。 でも、『今、クタクタです。ごめんなさい。しんどくて 祈れません。聖書を読む気力もありません。 どうにもできません、神様』と、 あるがままを祈って行く時、すごく平安になるんです。 受け入れられて、受け止められている感覚があって、 気持ちがすごく楽になる。肩に力が入ることもなく、 ほんと気持ちが救われるんです」 律法でなく、恵みの中を歩んでおられる(*^_^*) 「この間も、言葉の事で、救われたんです。 ちょっとした行き違いで、うまくこちらの思いが 相手に伝わっていなくて、相手は近親者で甘えが あるから、イライラしていて。 きつい言葉が来て。 こちらも、何でそんな事を言われんだ、とイラッとなって 言葉が出そうだった時、聖霊様が止めて下さって。 『神様、腹が立ちます!助けて下さい』と神様に 祈ることができて。 そうすると、気持ちが、すうっと落ち着いて、言わずに 済みました。 後で、冷静に考えると、ああ、言わなくて良かったと。 感謝で、感謝で、 関係に、恐ろしいヒビが入るところでした。 御霊の気づきが与えられて、守られていることを実感し、 感謝でならないです」 自分が頑張るわけでなく、主が働き、主が導いておられる。 そのまっただ中を、平安に生きて行ける。 “神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令 は重荷とはなりません” “なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つから です。私たちの信仰、これこそ世に打ち勝った勝利です” Tヨハネ5:4