2017年11月10日(金)
  「信仰ということ」

ある先生が、夫人を癌で見送られた。

「私の人生で最大の試練でした」と言われた。

「その試練をどうやって、乗り越えられたのですか」と皆で
お聞きした。
厳しい試練のまっただ中にある人々もいて、ほんとに聞き
たかった。

「私は弱い者です。『なぜですか』『どうしてですか』と神様に
叫びました。
『なぜ取られるのですか』『妻は、あなた様のために忠実
に従い、私たちは、示された通りに、ずっと一緒に働いて来ました』
『なぜ、こんなにも早く』・・

心は苦しくて、辛くて、悲しくて、まさに『私たちがおぼれ死にそう
でも、何とも思われないのですか』マルコ4:38
の弟子たちの叫びでした。

主が『向こう岸に渡る』と言われているのに、途中で嵐に会い、
舟が沈没しそうになると、主の言葉を信じないで、動転してしまい、
溺れ死ぬと大パニックになる。

神様のご愛を思えば、失礼な事ですが、何度も、何度も繰り
返しました。
『どうしてですか』『なぜ、今なのですか』
そして、『癒されるようにと祈り続けた祈りが、なぜ答えられなか
ったのですか』と。

特に、神様は何でもお出来になる、不可能は一つもない、
であるのに、なぜ癒して下さらないのか、こんなに願っても
どうして??

その結果、神様にゆだねることだと、教えられました。
自分の願い、自分の思いでなく、神様のご計画が成るように。
意味がわからなくても、納得行かなくても、神が最善を
しておられることを、信じて行くこと。

その時、心に平安が来ました」と。

試練のまっただ中で、一番厳しく感じるのが、神は全能のお方、
何でも出来て、何一つ出来ない事はない。

なら、どうしてこの事を止められなかったのか。どうして、起こる
事を許されたのか。なぜ祈りに答えられないのか。

でも、そこにご計画があり、自分の思いとは違うが、神の最善
であると信じること。

それが「信仰」ということなのだと。