2017年12月16日(土)
「労使関係」
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「自分は、神様とずっと労使関係だと気づかされて
来て、愛の関係にされたいと祈り続けて来た。
神様は雇用主で、自分は被雇用者、雇われ人。
時間と労働を提供して、給料を得る。
そんな関係だと。
神様を愛してでなく、もっと得たいがために、献げる。
平穏な生活が欲しいから、従う。
問題解決が欲しいから、神様、神様と言っている。
祈りは、すぐに義務であり、おつとめになってしまう。
神様の愛は何の問題もないが、自分に愛が無いから。
義務で、おつとめであっても、祈るのは、何かバチが起きると
恐いし、願っているものが欲しいから。
ほんとにギブアンドテイクの関係だなあと。
もらいたいがために、従う。
神様のために従うんじゃなくて、どこまでも自分のため。
だからすぐにしんどくなるし、潤いなど無いし、油切れになる。
そんなんじゃなくて、神様と愛の関係になりたいと思った。
神様を愛して、愛するがゆえに、従うような。
そしてずうっと祈り続けていた時に、いろんな出来事を
起こして下さって、大きな事も、小さな事も、神様の一つ
一つへの関与が見えて来た。
神様視点で見て行く時に、神様の愛が一つ一つの中に
見えて、心からの悔い改めに導かれた。
こうやって神様の愛がわからされた事が、祈りの答えだと
更に喜びが溢れた。
今は、以前とは違って、ねばならないじゃなく、そうしたい
から従っている。神様を喜ばせたいと思う。
前は自分を喜ばせたかったんだと。
今、喜びがあって、感謝でならない。」とのAさんの証しに、
「あ!私も一緒だ。それです!労使関係です。
すごく、わかります。
平穏な人生が与えられたいがために、神様について行く。
違いますよねえ。
神様と愛の関係でありたい。私も祈って行きます」
「自分もそう。問題怪傑のための神様。
この世と同じになりますよね。
家内安全、商売繁盛、交通安全、無病息災・・
神様の愛をもっともっと知って行きたい。
愛の関係でありたい」、
“父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを
愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい”
ヨハネ15:9
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