2018年03月11日(日) 「主が共におられる}
カンボジア宣教師による、宣教報告があった。 治安も悪く、様々な測り知れない困難のある中で、折々に もろに神様!の介入がわかる、みわざがあり、励ましとされ ると。 地方の宣教地から首都プノンペンへの車での移動は、祈り 無しには出られない。 全く何も無い大平原を走るので、故障したなら どうしようもない。JAFなど無いし、広大に延々と続く大平原 でなすすべもない。 そんな中、ファンベルトの故障で、車が完全停止してしまった。 お手上げで、どうしようもない。 それが、車が停止したのが、大平原途上の、小さな町だった。 しかしどうにも困り果て、ふと、横を見るとお兄さんがいた。 それでそのお兄さんに、、「この辺に車修理できる店ありますか」と 聞くと、「ここですよ」と答えた。 「え?」と驚き、「でも看板無いし・・??」「今から看板出して 修理店を始めるところ」と。 首都で修業を積み、生まれ故郷へ帰省し、今から修理工場 を開くところで準備していると。 非常に腕の良い職人さんで完璧に修理してくれた。 そして、翌日行くと看板が上がっていた(^^) 主は常に共におられ、節目々で、みわざにより励まして下さると。 聞いていて、修理工場の前で、故障の車を止められた神様。 どこで車が最終停止するかも、すべて御手の中。 という事は、このお方に、すべてお委ねしているなら、間違いは 無い。 お委ねして生きて行ける平安、安堵、幸いを思わせられた。 又、丁度帰国前に、現地で交わりのある教会の、按手式に 招かれた。 ところがその夕にある按手式の、朝に、突然の腹痛に襲われ それも今までにない激痛だった。 母教会に祈りの要請も来て、皆も祈ってくれた。 朝拝は休ませてもらい、何とか体調整えに。ただ按手式は 沢山の先生方が来られるから、どうにもの時は、一人抜けても 大丈夫かなと思っていた。 夕には、完治ではないが、激痛も何とかおさまり、皆の祈り に答えられ、無事に按手式に出席できた。 沢山先生方が来られると思っていたら、牧師の他に二人だけで、 「え?」と驚き、「二人だけですか?」「はい、特にゆかりのある、 思いのある先生方だけお招きしました」と。 出席できて良かった!と改めて、主と主のみわざに心から感謝 したと。 いつも共におられ、すべてが愛の支配の中で、守られ、保たれ、 ている平安に感謝!!