2019年01月14日(月)
  「肉の思い」

以前にAさんが、パン作りに凝っていた時に、パンが
焼けたので、出来たてパンをアパートのお隣さんに
届けて、大変喜ばれた。

しかし、家に戻って、どうしても心に平安が無い。良い
事をしたのに、何で?と思い、その場で祈った。

すると、「私はこんなに上手にパン作りが出来るのよ」と、
自分を誇って、誉められたくてしたと、御霊に動機を照らされた。

本当にその通りで、相手のためなどで全くなく、自分を
誇るためだった。気づきを与えられて感謝した。



Bさんが、人の手助けをしようとして、いろんな思いにさいなまれた。
こんな少し位の事をしても、何にもならない。
やるからには、もっとしっかりと、十二分にやらなければ意味がない。

この事をしても、相手は喜ばないのでは。
逆に、もっとしなければならなくなれば、どうするのか。
自分にはとても出来ない。

思いばかりが、ああでもない、こうでもないと巡り、何も出来ない。
でも、何もしないのも平安が無い。
そこで、ありのままを主のもとへ持って行き、祈った。

すると、確かに、手助けは御心で、それも自分に出来る事をすれば
良いとわかった。祈りの答えだった。

こんな少しの事なら、焼け石に水、何にもならないというのは
肉の思いで、自分の思い。又、先の事を思い煩うのも肉の
思い、又、動機も照らされて、自分が相手に良く思われたい、
肉の思いがある事、自分のためである事も示された。

良いことをしようとする肉を教えられた。

様々示された結果、神様に委ねた。
すると環境的になすべき事がわかり、少しの事だが手助けが出来た。
相手にも大変喜ばれ、自分自身も心がすっきりと、平安に満たされた。

肉の思いでなく、肉の力でなく、御霊に示され、御霊に導かれ
て、した事だとの平安と確信に、心は喜びに溢れた。

また、とにかく祈りに持って行けばよいこと、主が教えて下さることも
経験できて感謝だった。