2019年08月07日(水)
  「赦すこと」

★「人を赦すのは、難しいですね。
いなくなってくれたらいいとまでは、思わないが、赦せない
相手がいて。
でも、赦せないと、相手でなく、自分が辛くなるのがよくわかる。

相手はどうもなくて、自分が苦しくて、辛くてたまらない。
相手はどうもないですよねえ。一人相撲してるようなもので。

いかに自分が苦しいかというのが、よくわかり、赦せるように、
祈って行きたいです」


★「職場に、折り合いの悪い相手がいて、自分が傷ついた事が
あって、赦せないんです。

でも、その事を思うと平安が無くなり、心が暗くなり、重苦しく
なる。忘れている時は、どうもないんですが、ふと思いによぎ
ると、心が沈む。

とにかく祈ろうと、祈っていると、それが部署が変わる事になり、
環境的に、もう顔を合わすことが無くなった。

ほっとして、安堵していたら、それが違った。相手が目の前に
いなくなったにもかかわらず、恨みや怒りが無くなっておらず、
同じだった。

目の前にいないので、心が苦しい。これは自分の問題だと
気づき、自分では赦す事ができないから、赦せるようにと
祈り続けた。

そんな中、意志を向けて、赦すことを決意し、選び取るようにと
御霊に導かれて、主の前にギブアップして、そうしますと。

感情は横に置いておいて、意志で赦します、選択しますと。
すると、不思議に赦せて、心から辛さや、重苦しさが無くなった。
自分でなく、神様の力でした。」

“私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたの
ために、キリストの御前で赦したのです”Uコリント2:10


★「朝に主人とちょっともめて、すごく傷ついた事があった。
もう、怒り心頭で、腹が立って、腹が立って、恨みも募るし。

その日、主人は会社が休みで、子供たちは学校に出て行き。
掃除機をかけながら、内心もう怒り狂って、ガーガーかけてた。

主人はソファに寝ころんで、雑誌読んでいて。その間にガーガー
ガーガー、家中、かけまくり。

心の中で神様に感情をぶつけながら、「腹が立ちます!怒り
心頭です!」と祈りながら、掃除しまくり。

赦せない思いで一杯になり、一言も主人と話さない。
祈りながら、神様に吐き出しながら、家事をしまくってたら、
お昼近くになり。

主人が「お昼食べに行こう」と言った。全然行きたくないが、
むっとしながら、まあ、いいかと、一緒に行った。

テーブルについて、注文し、待つ間、主人はずっと本を読んで
いて。私は、一言も喋らない。むっと、沈黙で無視。

一言も喋らないまま、食事をし終わり、買い物をして帰宅。
帰宅後、主人はテレビを観ている。私は黙ったまま。

段々夕方になるが、それが、主人が、私が喋らない事に、
怒って黙っていることに、全く気づいていない。

もう可笑しくなってきて、笑えてしまう。悪気が無いのがわかる。
もう赦して上げようと思えて、自分も平安になり。

でも、あんなに怒り狂っていたのが、赦して上げようと思えた
のは、その間、ずうっと心の中で、神様に祈ってたからだと。

気持ちも、感情も、神様にぶつけて、聞いていただいて、段々
心が不思議に落ちついて来てしまって。自分が頑張ったわけ
ではないのに、赦せて。
やはり、祈りですねえ。感謝でした」