2020年02月03日(月)
  「思い煩いの亡霊」

「『思い煩い』について学び、思うところが非常に多いです。

思い煩いは、計画や予定を立てる事と違って、全く現実性のない、
現実に起きていない先の事を恐れ、不安にさいなまれ、それは
実体のない、亡霊です。

ちょっと負の事態が起きると、どんどん不安と心配は膨らんで、
自分で最悪のシナリオを描き、その思い煩いは、モンスターと
なり、飲み込まれてしまう。

心は暗く、重苦しく、心がふさがれて、押しつぶされそうになる。
それは、神様が飛んでしまい、自分が何とかしようとしている
から。

すると、すべてが自分の肩にかかって来るので、負いきれず、
不安で不安でたまらない。心がどっと落ち込み、真っ暗になる。

思い煩いの事態に、心が捕らえられ、囚われ、縛られてしまう。
ますますネガティブの方向に行き、ただただ重苦しいばかりだ。

でも、それは、思い煩いを自分が「選択」しているので、
「ストップ」をかける事が大切と。それを選択する事を教え
られます。


『あすのための心配は無用です』マタイ6:34
あすのための亡霊の心配は、いっさい無用と。

ちょっと体調が悪くなると、亡霊が動き出す。大変な病気では
ないか、高齢だと、寝たきりになるのではないか。
不安でたまらない。

子供に少し何かあると、もう子供の一生がだめになるのではと。
漠然とした、実体のない、亡霊の不安にどっと襲われる。

現実ではない、亡霊なので、神様もどうにもできない。

自分が勝手に背負い込む、その心配はいっさい無用と。

神様が、心配無用だと言われるのに、心配して慌てる
自分の不信仰を照らされます。


『あすのことはあすが心配します。労苦はその日その
日に、十分あります』マタイ6:34

今日一日のなすべき御心が備えられている。
明日を思い煩い、気力も削がれ、萎えて、今日の御心が
行なえない。


それが毎日続くと、一生がつぶされてしまう。
明日をゆだねて、今日の御心を行ない、今日を生きる
ことができるように。
祈ってゆきたいです」