2022年03月01日(火)
  「落ち込んだ時には」

遠方の友人Aさんと「落ち込んだ時」の事を話していた。

特に、厳しい試練の最中で、心が重く、沈んでいる時に、

【Aさん】
「最近、大きな試練があり、ひどく落ち込んでいた。
どうしても、神様でなく、問題を見続けてしまうので、

見えるところに支配され、飲み込まれてしまって、
ますます落ち込むんですよね。

教会の人々も、親切に訪問して下さって、慰めや
励ましを下さるんだけど、言葉も全然入らず、どうにも
ならずで。

自分の問題なんですよね。

神様の時が来て、落ち込みから脱出できたんです。

でも、しんどい所を通って、自分と同じようなタイプの人の
ためには、幾ら励ましてもだめなので、ひたすら祈って
あげることが、一番なんだなと、学べて感謝でした。

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【Bさん】
Bさんは、また別のパタンだった。

厳しい試練が次々と続いた時、問題に飲み込まれて
心が固くなってしまった。

肉が強くなり、何で自分ばかりがと反発心が出て来る。
周囲は皆、幸せそうで、自分だけが不幸だと思って
しまう。不公平だと。

その思いに支配されてしまうと、心が強情になり、不満や
怒りが出て来る。

そんな時には、神様は思いから飛んでしまう。
肉がどんどん強くなり、反抗的になってしまう。

皆は幸せでいいよねと、屈折した、すねた思いになる。
いつも喜んで行っていた集会を休んでしまう。

喜びも平安もなく、暗い、重苦しい思いの中にいる。

そんな中、心配して、Cさんが家に来てくれた。
会いたくないし、話したくない。

一応出るものの、屈折した思いの中で、反抗的な突っ張
った態度になってしまう。

しかし、Cさんは、柔和にやさしく対応してくれる。

こういう時は、反抗心で、会いたくないし、神様のことも聞きたくない。

でも、自分の中に、もう一つの別の思いもある。

こんな自分のために、気にしてくれて、わざわざ家にまで来て
くれて、対応してくれて、悪いと思う自分がいる。
申し訳ないなと思うし、有難いと思う。

二つの自分がいる。

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落ち込んだ時のパタンも、人により違い、また一人の人でも
その状況によっても違うかも知れない。

結局、自分の思いや、判断でなく、よくよく祈って御霊の
導きに従うフォローが、真の励ましになるようだ。

その時、その時に、御霊の導きに従いたい。