2022年06月10日(金)
  「同じ事が、神視点に立つと・・」

発想、神様視点ということ語り合い。


★【どのように与えて下さるか、楽しみに】

Aさんが、自分でも言う、人の何倍もの心配症だった。

心配と思い煩いを、自分が取って来ると。思い煩いが
無いと、不安になり、わざわざ取って来ていると。

「思い煩いが好きなんよ」

「そうだ、その通りで、思い煩いが好きなんです」

そんなAさんに、次から次と試練が来た。

経済的苦境や対人関係やら〜。

経済的苦境が、次から次へとやって来る。その度に皆
で祈った。祈りに、祈る。

何と、必ず、与えられた!
幾ら苦境が来ても、100%満たされた。
何度も、何度も。

続く、歳月の中で、とうとう、「次は、神様h、どのように
与えて下さるか、楽しみになりました」と。


★【“万事益”を、楽しみに】

人間は、気をつけていても、必ずミスするし、失敗してしまう。

その時、御前に悔い改めて、反省する事は大切だ。
次に、同じミスから守られる。次につながれて行く。

しかし、前向き、信仰的、反省でなく、サタンからのものも
来る。

うじうじ、ぐじぐじ、ああだ、こうだと、あれが悪い、これが悪いと
建設的でない、後ろ向きのネガティブ思考に、引っ張ろうとする。

心がうっとうしく、暗くなるのはサタンだ。

その時に、きっぱり!「万事益」に立つと、心が守られる。

主がそう言っておられるので、そこで「万事益」を信じる!!

すると、これをどのように益として下さるのか、主のわざであり、
期待が生まれる。

Cさん「自分はどうしても、そんな時、落ち込むばかりで、
すぐに万事益の発想がありませんでした。

すべての事を益として下さる神様を、信じて、どのように益
として下さるか、期待して行こうと思います。」


★【視点が・・】

Dさんに、非常に大きな、厳しい試練が臨んだ。

苦しみと悲しみ、辛さの中で、どんなに大変だった事だろう。

そんな中、Dさんが話してくれた。

周囲の人々が、声をかけてくれたり、一緒に祈ってくれたり、
食事に行こうと誘ってくれたり、電話や手紙、

少し時を経た頃には、食事に行こうと誘ってくれたり、
イベントに誘ってくれたり、


自分が、神様を見ていて、神様の視点がある時には、
こんな私のために、皆が心配してくれ、心にかけてくれて、
本当に有難いと思え、恵みが見えて、神様にも、皆にも
感謝でならない。

神様のご愛、支えや助けが身にしみて、心に喜びが
湧き上がる。

神様の愛と恵みがわかる。

でも、自分が神様を見ておらず、肉の視点しかない時は、
あなた達はいいよね、あなた達は幸せでいいよねと、
羨ましくてしようがなく、屈折した、ひがんだ、すねた
思いになる。

外側の状況は全く同じで、親切にしてもらってるのに、
自分の霊的状態で、天と地ほどに、とらえ方が違う。

自分で経験して、神様を仰いでいないと、御霊に導かれ
て行かないと、肉に支配されてしまうと、思い知った。

サタンも引っ張りますものね。

神様に拠り頼んで、わたしにとどまりなさいと、言われる主に
とどまっていたいです。

神様視点で、物事を見れるよう、判断できるよう、祈って
いたいです。