2004年01月22日(木)
  頑固がちがちの自我

又、別の婦人と、信仰の前進を阻む自分の自我に
ついて話していた。
自分がしっかり握って、自分が支配しているもの
がある。でも、放せないと。放すのが恐い。放し
たらどうなってしまうのかと、ものすごく恐れて
出来ないと。

神様が全知全能で、完全なるお方で、愛なる方で
・・頭ではわかってるのに、そこにお委ねしたら
最高の形で導いて下さると、わかっているのに、
出来ないんよ〜。

頭と心は違う。頭で理屈で幾らわかっていてもだ
め。そこに信仰が要る。信仰って、その時点では、
真っ暗な中に飛び込むような要素がある。
いつの時もそう。勇気を持って飛びこんだら、確
かに御手にしっかり受け止められ、抱きしめられ、
全く違う新しい世界を発見する。

そして、いつも同じ事を思う。どうして、もっと
早く飛び込まなかったのだろうと。

それが自我で、どうしようもない。C婦人は「自
分が握りしめています。神様に委ねることが最善
だとわかっていますが、恐くて、どうしても出来
ません。助けて下さい」と祈った。
正直な祈りに答えて下さる神様は、今年みわざを
見せて下さることに感謝。

冷静に考えるなら、理屈では、完全なるお方にす
べてをまず明け渡して、お任せして、導いて頂い
たら、何も言うことのない、一番最善の道を歩め
るのに。
よくわかるのに、出来ない。それが自我。頑強な
自我が立ちはだかって、させない。まさに、Cち
ゃんのごとく「頭と心が違うんよお〜〜」。

でも、神様助けて下さいと、祈ることができる。
この岩のように固い、かちかちの頑固な自我を砕
いて、従えるように、助けて下さいと。

若い金持ちの役人のように、イエス様のもとを絶
対に去らないで、「出来ない」自分を認めて、助
けを求めることが「出来る」。

“イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは
人にはできないことです。しかし、神にはどんな
ことでもできます」”マタイ19:26
  by 多恵子