2025年04月1日(月)
  「いやして下さる主」

2年前の3月に、親しかったAさんが天に帰った。
重い病気を患っていたが、

「病は、主から来たもの」との信仰に立ち、そこの
ところが、最後までブレ無かった。

治療をしながら過ごしていたが、急に悪化し、
イエス様のみもとへ。

海を越えての無料電話を、よくかけて来ていて、
2時間〜3時間も、神様の話は尽きなかった。

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亡くなる少し前に、神様のみわざを伝えてくれた。

Aさんは、大人になる行程で色々な事があり、重く
はないが、鬱症状があった。

数ケ月ごとに、鬱症状が出て、ひきこもってしまい、
出会った最初は、びっくりし、聖書が読めない、祈
れないと。
聖書を手に取ることもできなくなると。

霊的な事に人一倍熱意があって、求めていたので、
驚いて、とにかく祈って、見守っていると、少し日にち
が経過すると、すうーっと良くなって行く。

付き合っている内に、定期的に来るが、必ず抜けて
行くことがわかった。

辛い事があった後遺症のようだった。

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それは、もう何10年も続き、持病のようだった。

神様に出会って、段々、自分の姿も見えて来た。
ただただひきこもり、何も出来ないのだが、しかし
自分も、そこに逃げていると。

何か試練や、嫌なこと、苦しいことがあると、自分は
自分の弱さに逃げ込むと。

そこは外部とシャットアウトできて、ある意味、居心地
の良い場所だと。

しかし、家事、育児がストップしてしまい、夫や子ども
たちに迷惑をかけていると。

しかし、気持ちがいっぱいいっぱいになってしまう。

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そこ事を、ありのまま、主の御前に祈り始めた。

ある時、深夜1時に電話がかかった。
向こうは午前11時、限界状態だったよう。

電話に出るなり、号泣して、確かに軽い鬱症状は
あるが、それを利用して、したくない事、嫌な事から
逃げてしまう。

自己嫌悪で、受話器の向こうで、もう大泣きだった。

イエス様が「よくなりたいか」と、問うてくださっている
と言うと、「よくなりたい!」と叫び、「よくなりたいです」
と祈った。

心底の叫びだったと思う。

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その後、弱さで、逃げ込んでしまう事があるが、しかし、
そのつど、主と交わって、解決できるように。

そして、あれ以後、変化があったと。
何があっても、心の底に流れる川のような平安が、消え
ることがないと。

そして、その事は、Aさんとの会話でも、話が上がる
ことが一度も無かった。

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歳月が流れ、Aさんが闘病の中も、よく電話がかかり、

ある時、ふと、「そう言えば、あの件はどうなったの?」
と、聞いた。
もう長い時間が過ぎていた。

今、思えば、天に召される少し前だった。

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「あれね!いやされたよ!!

もうかなり長い間、全く無い」と。

「わあ!!神様すごいねー!!!」

びっくり感謝!!!!だった。



“わたしは主、あなたをいやす者である。”
出エジプト15:26