2004年04月15日(木) ボロボロのまま愛されて
親友と久し振りに、ゆっくり話した。 一緒の教会で救われて、とても仲良くなり、その後すぐ彼女 は郷里に帰ってしまったので、しばらく手紙のやり取りをし ていたが、それぞれ結婚で遠方に移動。子育て奮闘期で バタバタしていて、交わりが中断してしまった。 5、6年後、連絡取れて、交わり再開。 それ以来、電話や手紙、時たま会えたりで、ずっと交わりが 続いている。 救われてすぐに田舎に帰省したので、教理も充分わからない ままだった。家に訪問して来る、紛らわしい間違った宗教を、 同じだと勘違いし、5年も学びをしていたと。 救われた時の、神様だと信じきって。聖書もどきを使うから 紛らわしい。 同じ教会だったもう一人の親友と、連絡が取れて、間違い を知ったと。すぐに離れて、聖書の教会へ。 その時の子供に対する、その宗教の間違った教えによる、 間違った対応が、後々まで傷を残して、子供が思春期の 頃、爆発し荒れに荒れた。 手がつけられないほどの荒れ様で、詮方尽きて、なすす べなく、もう親の方も心ズタズタのボロボロ状態。 崩壊寸前に、親である自分自身が、あるがまま受け入れ てもらい、心癒され、息を吹き返した。 ずっと自分自身をダメ親と責め続け、世間からも親が悪 いと責められ、行き場がなかった。 まだ自分に余力がある時は、それでも自分の力でやって 行けるが、心底力尽きてしまう時があるんだと。もう 何の力も残っていない。このままくずおれて行ってし まうのが見えてしまった時。 親がまず癒されると、それが子供に及ぶ。今まで自分が だめなので、子供にもそれではだめ、ちゃんとしなさい、 あなたはだめの、発想と態度しかなかった。 自分が受け入れて貰うことを体験して、初めて、今度 は、子供をそのまま受け入れることが、できるように なった。子供が少しづつ、変わって、落ち着いて行っ た。 荒れている子供を見ると、つい子供の方に目が行くが、 その陰で、親がボロボロで行き詰まっていて、親のフ ォローが大切だと思うと。 もう一歩で谷底まっ逆さまの、崖っ淵まで追い込まれ たが、そこを通ったことも感謝で、自分が根底から変 えられるためには、それが必要だったと思う、と。 大変な遠回りをしたが、それも御手の内で、見捨てな いで、ちゃんと正しい場所に導き出して下さった神様 に、ただただ感謝で感謝でならないと。 自分がだめで、だめで、だめ人間と責め続けて、真っ 暗闇のどん底にいた時に、「神様は何と言っておられ ますか。聖書のどこに、あなたが、だめ人間だと言っ ておられますか」と言われて、はっと我に返ったと。 まず、神様の、大きな広い深いご愛にたっぷりと触れ て、自分がしっかり受け入れられている事を、体験し て行くことから始まって行く。 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが 私たちのために死んでくださった・・」ローマ5:8 by 多恵子