2004年09月12日(日)
  「私を変えて下さい」

いつも交わっているご高齢のCさん。

お身体もどこも悪いところがなく、いつも柔和で明
るくて、お元気だ。ご高齢なのに、神様の守りとし
か言いようがない。

教会へ来られた頃の思い出話をしていた。
教会に来て、牧師から学びをしてもらうが、どうし
ても神様のことがわからない。幾ら聞いてもわから
ない。

「先生も、紙を出してくれちゃって、図を書いて、
わかりやすうに、わかりやすうに教えて下さるのに、
まあ、全然わからんで、余りにもわからんもので、
もう、先生が気の毒で」(笑)

「先生に、『私はもう先が無いから、核心をバシッ!!
と言って下さい。もう、バシッと!!』と言ってたん
ですよ」と大笑い。

わからなくて、わからなくて、もうこれは神様に祈
ろうと、神様に祈り始められた。
「わからせて下さい、わからせて下さい。私を変え
て下さいと、もう必死で祈ったんです」と。

すると、見事にその祈りはきかれて、十字架の意味
がわかり、救いがわかり、神様の愛がわかり、救い
に入れられた。

そして、信じた時に与えられた喜びが、心にいつも
あって決して無くならないと。
胸に手を当てられて、何があっても、ここに喜びが
湧き出ずるようにあるんです、と。

独り身であられながら、喜びと平安の中で、日々感
謝して過ごしておられる。ただただ、感謝です。もう
感謝しかありません、と。いつも励まされる。

「神様を知れるように」「私を変えて下さい」の祈
りは、しっかりみこころにかなっているので、必ず
聞かれるのだと、教えられる。

ローマ12:2を一緒に学んでいて、「この世と調
子を合わせてはいけません・・自分を変えなさい」
この世の価値観が根深く、根強く培われている。
自分の力を誇り、自分に頼って生きる。自分が神に
なる。そして、自我はどこまでも相手を変え、環境
を変えようとする。不毛の戦いをする。

DさんやFさんが「わかる!絶対自分は正しくて、
自己主張して、自分を正当化して、相手を責める。
でも、神様を知ってるから、そんな時って、全然
平安がないんですよねえ。
後で、言わなきゃ良かった、しなきゃ良かったと
後悔して」

「私を変えて下さい」の祈りをして行きたいと、皆
で祈った。
by 多恵子