2004年10月03日(日)
  「些細な犠牲」

イエス様は、ほんとに真理なるお方。
甘い言葉で、何でもいいから入信せよと、決して言われない。

この道は狭い道で、払うべき犠牲もあるよ、しっかりよく考
えてついて来なさいと言われる。
感情だけで信じても、種まきの例えのように、試練が来ると、
こんなはずではなかったと、枯れてしまう。

「自分のいのちまで憎まない者は、わたしの弟子になること
はできない」「十字架を負ってついて来ない者は、わたし
の弟子になることはできない」「自分の財産全部を捨てない
では、わたしの弟子になることはできない」

結局、中途半端が、一番惨めであわれで、苦しい。
世におれば、それなりに平安に過ごせる。一旦救われたら
世の価値観は苦しい。平安がない。
かと言って、神様のことも中途半端なので、よくわからない。
世では平安がなく、歩調が合わない、が、神様にも全面的に
従えない。これは一番惨めな状態。
世へは戻れないので、神様へと前進して行くほか無い。

Aさん「犠牲を払う事って、日常生活の些細な事に出て来ま
すよね。神様に焦点合ってなかったら、ほんと自分の事しか
考えない。それが正当で、合法的だったら、神様のみこころ
から全くそれて生活してしまう。

朝、家族で出る時間が異なって、順番に駅まで送迎し合うん
ですが、私の番でないと、朝の1分でも惜しくて、頼まれて
も、“何で私が行かんならん”となってしまう。
すぐ近くなんですよ。でも、犠牲を払おうとしない、その前
に、まず神様が飛んでる、だから、自分中心になってしまっ
てるんですよね。

やっぱり、朝一番に神様と交わって、神様をしっかり心に据
えて、神様に焦点当てて生活しないと出来ないですよね。

まず、“神様!”と心に来たら、対応が守られるけど、神様
が飛んでると、神様なしで、やっぱり自分が対応してしまう。
それで気づかない。
教会へ来て、こうやって御言葉に向かう時、先週の一つ一つ
全部が見える。(笑)」

「毎日、機会がいっぱい与えられていて、そこで、即、神様
に従ったら、家族に神様の潤いや温もり、栄光を現わす事の
できるチャンスなんですよねえ。教会へ来るとわかる(笑)」

「一人が、いいよって、気持ちよく犠牲を払うと、家族全体
の雰囲気がさっと変わってしまうんですよ。そして、自分が
自己中心になって、トゲトゲすると、家族にも伝染して、皆
がそうなってますよねえ。神様に従いたいです。」

生活の瞬間、瞬間に「神様!」と呼んで、従って行けます
ように。
by 多恵子