2005年11月16日(水) 「神に不可能はない」
海外のAさんから久し振りの便り。 親族への証しのことで、とても励まされる。 Aさんの実家はお寺。ご両親共にお寺の住職。 いつも帰省した時は、場所が無いから、お寺の本堂 で寝ると。 お父様が数年前に亡くなられたが、その折り、帰国し、 死期が近づいていたお父様に付き添い、数週間を 過ごせた。 小さい頃の思い出や色々な事をしみじみと語り合え、 こんなに、父と心通わせ語り合えたのは、生まれて 初めてだと。 そんな病床で、「聖書の神様のお話していい?」と 言うと、心開かれたお父様は、福音を聞かれた。 耳を傾けて、まことの神様のことを聞いて下さった。 自分は寺を守らないといけないし、檀家の人々が いるからと、今の境遇の中で、公に表明は出来ない がと言われ、しかし、御言葉の種が心にしっかり 蒔かれた。 耳を傾けて聞いて下さった。表明は出来ないが、 心で信じて下さったかも知れないなあと。 そして、残されたお母様は、住職の資格を有し、しば らくお寺を守っておられた。高齢になるからと、辞され お寺を出て、長女さんと同居。 Aさんがお母様に、どうしても救われて欲しくて、かつて 帰国の度に証し、神様の事を語り続けた。 しかし、全く聞く耳が無かった。幾ら話しても心に入らない。 聞かれなかった。 それが突然、今年の夏の帰省時、180度心が変えられ 御言葉がすうーと心に入り、しっかり聞かれる。教会に まで一緒に行って下さった。心が開かれていて、信じて もいい、ただお墓や、親族の事はと気にされた。 しかし、御言葉に耳を傾けられ、突然の変わり様に、 驚き、神様は何でもお出来になる。不可能は一つもない と親族の救いを祈っている皆に、大きな励ましとされた。 そのお母様が、聖書を300頁読んだが、自分にはよく わからないと。落胆されているので、近くの牧師先生に 訪問をお願いしようと思うから、祈っていて欲しいと。 導き手がないと、どうしてもわからないと思うと。 何より、その300頁を読まれた事にびっくり!!驚異だ! 本当に求めておられるんだ。 お母様の救いを切に祈っている。 神様は、突然心を変える事がお出来になる。 何でもお出来になる神様に、親族の救いに、忍耐して 祈り続けている兄姉に大きな励ましとされた。 “いつでも祈るべきであり、失望してはならない・・” “まして神は、夜昼神を呼び求めている選民の ためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを 放っておかれるでしょうか”ルカ18:7 by 多恵子