2006年02月12日(日)
  「コンサート」

今日は教会で、バイオリンコンサートが開かれた。

まだ神様を知らない方々に、少しでも触れて欲しい、
会堂に足を踏み入れてもらおうとの目的だ。

会堂一杯に人々が集い、クリスチャンバイオリニ
ストAさんの演奏と証し、牧師のショートメッセージ
がなされた。

Aさんが演奏の合間に証しをはさまれる。
「演奏は、行き着く所は自分との戦い。それはプラ
イドとの戦いでもあり、自分の能力の現実を認め
られるかどうかにかかる。
演奏家の誰しもが求めるものが、心の平安。平安
持って演奏に臨める事が、自分の実力を十分に
発揮できることにつながる。
それが得たくて、滝に打たれたり、断食したり、様々
な事をしながら、精神的なもの、修業により内面的
なものを求める。
私はそれを神の御前に静まる事によって、解決
を得て、与えられた。神の前に静まる時、自分
の本当の姿が見えて来る・・。

生けるまことの神がおられ、この世界に偶然はなく、
秩序があるの話で、偶然に宇宙ができて、人間が
できたと言うが、
例えば、楽譜の上に、米粒をばらまく。
何回か、ばらまいてる内に、米粒が音符となり、
曲が出来て、素晴らしいシンフォニーの楽譜が
できた。こんな事、信じられます?

誰かがそこに音符を書くと、素晴らしい曲が出来る。
誰かが書かない限り不可能。
ましてや、宇宙、世界、人間、すべての秩序、誰か
が創ったという方が自然であり、考えやすい」・・

牧師によるメッセージは「心の貧しい人は幸いです。
天の御国はその人のものだからです」マタイ5:3

貧しいの意味は、「乞食」。心の乞食は、素晴らしく
祝福され、神様の祝福に溢れている。

「貧しい」というと、比較で考えるなら、少なく持っ
ているふうに思える。少ないが持っていることになる。
しかし、聖書の言っている事はそうでなく、乞食であり、
他者からの恵みがない限り、全く生きて行けない。

この世界は、持っていることが幸い。豊かである事が
幸いで、それを目指してしんどい目をして働く。
能力がある事が幸い、出来る事が幸い。

しかし神様の世界は正反対で、は出来ない人、持って
いない人、無い人が幸せだと言われ、この世界とは全
く異なる恵みの世界。

肩の力がすべて抜ける何と、安堵と、喜び、平安!!
by多恵子