2006年06月16日(金)
「同じ状況で」
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遠方の親友より、久し振りの嬉しい便りが届く。
近況が色々記されている。
「子供の就職活動を通し、自分自身の信仰も試され
ています。」
教会のA婦人が、就職活動は「シュウカツ」と言うんで
すよ、と教えてくれる。シュウカツは大変なんだ。
何度も何度も落ちて普通で、その度に、親子で落ち込
むと。そのAさんも親子で、その試練を通り、現状見れ
ば落ち込み、神様見ると引き上げられ、その繰り返し
を通して、結局、子供にとって一番ふさわしい先が
与えられた。
「ああ、信じとけば良かった。神様に申し訳ない」と。
「幾つも受けるが、落ちる度に、ガッカリし、親の方も
その度に心騒がせ、心配し、落ち込み・・、そして、
神様のもとへ行くと、平安になり、また、目に見える
ところを、現実を見ると、ガッカリし、思い煩い・・
また、神様のところへ行くと、そうだ、と平安になる。
この繰り返しで、いい加減、胃も痛くなってきて、
もう親もこんなでいいのかと(笑)
神様を見て、信仰に立っていると、大丈夫と思え、
平安になり、信仰的に、前向きに、肯定的になり、
沢山の恵みや感謝が見えて、自分も恵まれ、子供も
励ませる。
しかし、状況と現実と子供を見ると、不安と焦りで
つい子供に口出しし、要らぬ事を言い、子供にプレッ
シャーをかけてしまい、後悔と反省。」
これって、状況が変わったから、反応が変わるので
無くて、全く同じ状況で、全く正反対の反応。明暗
くっきりだ。
目に見えるところ、状況を見ると、不安と焦りの「不
信仰」へ。神様と御言葉と祈りに立てば、平安と恵み
と感謝の「信仰」へ。
結局、自分がどちらを選択するかだ。その結実が後に
ついて来る。見えるところか、御言葉か。
信仰生活、すべての場合において、いつもこの通りだ。
「確かに、私たちは見るところによってではなく、
信仰によって歩んでいます」Uコリント5:7
by 多恵子
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