2007年10月23日(火)
  「祈りって答えられてる」

数ヶ月前に、神様にしっかり出会って、信仰与えられた
Aさん。

「神様って、小さな、小さな祈りに答えて下さるんで
すね!」顔を輝かせて言われた。

「こんな者の祈りに、それが一つ一つ小さな祈りまでも
答えられるんですよ!!もうびっくりで、嬉しくて、嬉
しくて!!本当に神様に出会えて感謝です。こんな感謝
はありません」

「その答えが私が願った通りじゃないんですよ。でも、
答えられてるんです。願った通りに答えられなくて良か
ったなあと。

又、願った事が、止められる事もあって、それが答えな
んだとそれも感謝なんです。
いろんな痛い事とか、悩み事とか、しんどい事とか、
もう様々起きるんですけどね、ああ、自分の成長のため
なんだなと思えるんです。

いろんなしんどい事、起こる度に、自分自身がもっとも
っと成長させられたいなと思います」

「えっ!!すごい!!!そんなふうに思えるなんて。A
さんすごいなあ!!」

Bさん「ほんと、そうですよ。だいたい祈りが聞かれ
ない、幾ら祈っても何も変わらないと、神様を責めて、
文句タラタラになりますよ。すごい!」

祈りはすべて聞かれていて、止められるのは答えで、
「ノー」は答えだし、思いと違うように、祈ったのとは
違うように、答えられている事が一杯ある。

でも、それが答えだと受け取れずに、祈りが聞かれて
ないと思ってしまう。
自分の思いと神様の思いが異なる事は、かなり多い。
自分はこれが絶対だと思い、祈るが、神様のお心とは
異なる。

「ノー」の答えもよく見ていないと、わからない。
神様から、何の応答も反応も無いと思ってしまう。

違う形で答えられていて、自分の求めと、形が違うから
答えられているとわからない。

よく経験するのが、状況を変えて欲しいと願うが、状況
でなく心を変えて、「主の平安」を与えて下さること。
状況の変化ばかりにしか、心が向かないが、そうでなく、
祈りに答えて心を変えていて下さる。
主の平安さえあれば、どんな状況でも生きて行ける。

有名な詩の通りだ。

「求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞かれた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せない祈りはすべてかなえられた
わたしはあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ」