2008年01月20日(日)
  「有難み」

皆で、話していて、自分で困窮を感じないと、
有難みがわからないと。

Aさん「母が高齢で、段々身体が不自由になっ
て来ていて、ああして上げたらいいな、こうし
て上げたらもっと楽になると、自分としては、
色々考えて、助けようとすると、

母は、母の思いがあって、自分の思い通りにし
たいようで、そこでぶつかってしまう。

自分としても、母のためにと思っているが、
でも、よく考えると自分の、良かれとの思いを
押しつけているのかなと。

母が実際に自分で不自由を感じ、自分で助け
を求めた時に、助けたら良いのだと思えた。

先回って、楽に楽にして上げようと思っても、
本人がそう思わない限り、余計なお世話だなと」

Bさん「それ、子供にも言えるよね。ついつい
子供の先回りをして、道をつけて過保護にして
しまう。
子供が必要を感じる前に、与えてしまうから、
子供が困る経験がない。有難みがわからん
よねえ」

Cさん「自分自身もそうよねえ。すでに与え
られているもの、知らない内に与えられてい
るものって、全然有難みがなくて、粗末に扱
ってしまう」

Dさん「祈りもそうですよねえ。祈って祈って
与えられたものと、祈らずに与えられている
ものって全然違う。恵みによって沢山のものが
与えられているのに、その恵みがわからなくて
感謝がない。

でも、求めて、求めて、祈って祈って、与え
られたものって、有難みが身にしみて、大切
にしますよねえ」

「やっぱり、自分が困って、行き詰まって、
必要を感じて、神様に求めて、与えられたもの
って本当に嬉しいですよね。有難くって、有難く
って」

Eさん「私、財布がボロボロだったんですよぉ。
破れてて、もうカバンに入れてると、いつもお金
がカバンの中にバラバラに出てしまって。

カバンが財布みたいなものだったんです。でも、
買うのも何か勿体なくて、¥1000ぐらいは
するじゃないですか。
買う気がしなくて、そのままだったら、見かねた
主人が財布を買ってくれたんです(笑)

もう財布が有難くて、有難くて、感謝でならない
んですよぉ。やっぱり自分が不都合を感じて、
自分が困って、与えられる時、感謝が溢れるん
だなあと」

ほんとにそうだ。困る事がないと、何もかもが
当り前で、有難みがわからない。感謝がない。