2008年03月16日(日)
  「必要ということ」

Aさんが「高齢で、身体が不自由になって来ている
義母に色々して上げたい事があって、ああしたら
便利なのに、こうしたらもっと楽になるのにと思
うが、思いが色々あるが、
人の思いは自分の思いと違って、違う方向を向いて
いて、義母は今は、こちらの思う助けを必要として
いない。

必要としていないのに、幾ら便利と言っても押しつ
けになるので、義母が自分で必要とした時に、助け
の手を延べる事が神様の御心とわかったんです」

Bさん「自分に必要がないと、幾らこれが良い、あれ
が良いと言われてもわからないですよねえ。余計な
お世話で、おせっかいになるばかりで」

Cさん「自分も、ものすごく困った時に、必要が生じ
た時に助けてもらった時、ものすごく有難くて、本当
に身にしみて、神様への感謝でもう一杯になった。
必要がないと、有難みもわからないし、感謝も見え
ない」

「折りにかなった助け」が大切で、助けは、折りに
かなっていないといけないんだなあ。

Dさんの子供が学校を中退したいと言った。Dさん
は人生の先輩として、自分の意見、アドバイスをす
べて告げて、人生は甘くない事、どれだけ厳しいか
も話し、しかし、子供の選択に任せた。

子供は退学を選択した。親として、出来る事だけは
してやりたいと、もし将来復学を希望する時は、そ
うできるよう、すべての書類を整えて、そのように
セッティングしてやった。

そして、学校をやめ、自分で働き出した。
1年2年経る内に、労働の厳しさを味わった。
生活するのに、収入が1つの仕事では足らず、
2つを掛け持った。昼も夜も働いた。

そして、社会に身を置いてみて、初めて自分で勉強
する事の必要性を感じた。
数年後、自分で復学し、自分の意志で勉強を始めた。
成績優秀で奨学金も得て、新たなる進路を歩んでいる。

自分で欠けを感じ、必要を感じて、初めて身につく。

必要感じる前に与えられ過ぎると、感謝も有難みも何
もわからない。過保護、過干渉の害を思わせられる。