2008年07月21日(月)
  「肉」

Aさん「肉で行った事があるじゃないですか。
祈りもせず、自分の欲望で、自分の思いで
行って、失敗してしまったこと。
その後で、いろんないわゆるマイナスの事が
起こる時、自分が肉で行ったから、自業自得
だとの思うが来る。」

「え?それって、バチが当たったってこと?」

「そう。バチというか、自分が悪い事をしたから、
悪い事が起きても、神様に頼るのは筋が違う
みたいな」

「へ?でも、悔い改めたんでしょ?」
「はい、悔い改めました」「じゃ、赦されてる」

“わたしは彼らのとがを赦し、彼らの罪を二度
と思い出さないからだ”エレミヤ31:34

「罪が完全に赦されてる。刈り取りはして行く
けれど、罪が赦されてるからこそ、刈り取っ
て行ける。刈り取りは訓練となり、それも又、
益として下さる。」

「完全に赦されてること、嬉しい。でもね、
祝福も見えるんです。今、すごく自分が神様
を求めていて、こんな事、初めてで。
以前は幾らでも、求められる環境にあったん
ですが、全く求めが無くて、焦点が合ってなか
った。
でも、今、思い通りにならない環境の中で、
神様求めている自分がいる。神様の祝福
を感じていて、嬉しいです」

Bさん「肉って、腐ったものというか、自分の
肉が、相手の肉を引き出してしまうんですね。
肉が、肉を触発して行く。

こちらが肉で対応すると、相手の嫌な部分、
醜い部分を誘発し、どちらもドロドロの醜さ
を暴露して行く。
双方の醜さがあらわになるだけでなく、双方
で傷つけ合う。
こちらの醜さ、汚さが、相手の同じものを
引き出してしまう。御霊に導かれて行かな
ければ、本当に泥沼ですね。双方でものす
ごく傷つけ合う」

「“御霊によって歩みなさい”御霊によって
歩まなければ、とんでもない罪を犯して
しまう。」

肉は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう。

“もし私たちが御霊によって生きるのなら、
御霊に導かれて、進もうではありませんか”
ガラテヤ5:25

御霊に導かれて歩む時、相手も御霊に
よって導かれ、双方で引き上げられて行く。