2009年05月17日(日) 「あの方は盛んになり」
この日曜、癌で余命が数ヶ月過ぎたAさんは 体調お悪く、教会に来れなかった。 皆で礼拝後、お祈りした。 数回、顔を合わせたBさんが、もうびっくり仰天 されて、 「Aさんが、そういう状態であること全然知らなくて、 明るくて、お元気で、喜んでおられて、いつも 満面の笑みで・・もうびっくりしました! あんなににこやかで、考えられないです。 すごい神様の栄光ですね!神様の栄光が 輝いている。神様すごいですね。 今現在、お会いできること自体が奇跡なん ですよね。すごい奇跡ですよね」 本当に神様の奇跡だ。 ご主人のCさんが優しくて優しくて、もう 至れり尽くせりに、いたわっておられて、 周囲の全員が口を揃えて言う。 「ご主人がほんとにお優しいですねえ。素晴 らしいですねえ」 牧師が「あれは、神様の優しさですね」 ご夫婦揃って、神様の素晴らしい栄光が 輝いている。 聖書を読んでいて、 「あの方は盛んになり、私は衰えなければ なりません」ヨハネ3:30 という箇所が出て来て、 主は、私が衰える中で、盛んになられ、輝き、 栄えて下さる。 自分が、自分の力が、自我が衰える中で、 主の救いが、栄光が、大きく輝いて行く。 主が盛んになられ、私は衰える。 Aさんがにこやかな笑みの中で話して 下さった。 「私はもう頑固で、頑固で、カチカチで、 固くて、固くて、岩のようで、夫が話して くれる神様のことを、全然聞かなかった んですよ。はねつけてました。 それが、末期癌という事で、初めて 心が神様に向きました。砕かれました。 神様に出会えて感謝で、感謝でならず、嬉しい です。もう感謝しかないです。 夫がそれまでも、私の救いのために、祈りに 祈り、切に切に祈っていてくれたようで、 嬉しいです。感謝です」 主の輝くばかりの栄光。 死に向き合い、何もかも明け渡しておられる から、主が盛んになっておられる。 主の栄光が現れるのは、自分が衰えるから。 そこしかない。自我が砕かれるしかない。 あれやこれや思いながら、 「私にとっては、生きることはキリスト、 死ぬこともまた益です」ピリピ1:21 の御言葉が響いてくる。