2009年07月22日(水)
  「愛されている」

「放蕩息子・兄息子」のことを話し合っていたら、

Aさん「私、イエス様を信じて20数年になりますが、
ずっと放蕩息子です。

赦されて、赦されて、今まで生かされて来ました。
もう神様の愛が身に染みて、身に染みて感謝しか
ないです。
イエス様を信じていますが、夜になると、悔い改め、
悔い改めの毎日です。ずっと悔い改めの人生です。

それがもう本当に不思議で、自分が神様について
行ってるんじゃなくて、神様がずっと私を握っていて
下さる、もうその人生でした。

崖っぷちギリギリの所が何度もあり、もうダメだ!と
絶体絶命!と思う時に、必ず、神様が襟首を持って
ひょいと、救い出して下さるんです。

波瀾万丈、紆余曲折あり、何度かもうダメだ、崖に
真っ逆さまと思う度に、ひょいと、助け出される、
ほんとに愛されていると、全身全霊で、身をもって
感じます。

信じていても、罪ばかり犯す者を、神様がいつも
いつも愛し、導いて下さっている。神様が愛であり、
愛されていることだけは、これだけは、もう身を
もって、人生かけて、心から証しできます。
神様は愛です。私は、愛されていて嬉しいです」

Bさん「私、教会って、品行方正な人々ばかり
だと思ってたんです。
それこそ罪とは、絶対無縁で、聖く、正しくて、
でも、全然思っていたのとは違ってて、すごく
嬉しかったです」

Cさん「主人と大喧嘩して、この〜、くそっ〜
とか、腹立つとか、こんちくしょうとか(笑)
皆、素で、地そのままですもんね(笑)
でも、教会へ来ると、『神様、ごめんなさい』で、
また、新たに夫を愛そう!と思えるから感謝です
よね」

Bさん「皆さんがあるがままで、だから、すごくホッ
として、嬉しいです」

Fさん「私、兄息子で、自分の力で頑張って
るから、神様の愛がわからない、ということが
わかった。
自分は神様を知らないことがわかった。
神様を真の意味で知れるよう、愛がわかるよう
今から祈って行きたい」

「自分で頑張ると、必ず人を裁きますね。
やっていない人を見ると腹が立つし、マルタ
みたいに。
出来ないのは、頑張りが足らないから、もっと
努力しないから出来ないと見てしまう。
必ず人を裁く。そして、出来ないと自分をも
裁く」

自分の心が聖霊様によって、見せられる
ことが感謝。