2009年12月04日(金)
  「受け止める」

Aさん「試練を試練だとわからない、受け止めれない時が
一番苦しかった。目の前の状況しか目に入らず、飲み
込まれていて、ただ苦しいだけ。怒りが湧き上がり、神様
にぶつけてた。

神様どうにもしてくれないし、教会も、もう行かない!と
思うんだけど、朝も起きられず、ぐずぐず遅れるんだけ
ど、なぜか、ずっと来れた。
神様に反抗して、自分は行かないと思うのに、なぜか
知らないが足が向いていて、来れる。気づいたら来てた
という感じ(笑)」

皆が「神様じゃあ〜」(^^)/

「試練だと思わないし、ただ、苦しくて、しんどい事が起こ
ってるというしんどさしかない。苦しいばかりで、神様に
焦点でなく、痛みに焦点があるから、どうしても自己中心
になる。

自己中の殻から抜けられない。何で?何で?で、神様
見ていないから答えも無いし、ほんとに学びの通り、状況
と自分を見るばかり。それしか見ていない。

それが、試練だと教えられ、受け取ろうとした時に、変化
が起きた。学びで、“すべての事が益”の御言葉を聞いた
時、信じれた。これも、益として行って下さるなら、信じて
行こうと思えた。」

Bさん「Aさんの顔がものすごく変わった。明るくなった。
口から出る言葉が全く変わった。愚痴、不満、不安の
ネガティブな言葉だけだったのが、神様、信仰、希望の
言葉が出ていて、こっちも恵まれる。

本当にいつも学ぶけれど、状況じゃないんですよねえ。
状況に反応してしまって、状況に飲み込まれてしまう
状況の問題でなく、自分が問題で、神様に、御言葉に
反応して行くことを訓練されています。」

Cさん「Hさんが末期癌のまっただ中で、平安与えられ
て、それは平安なにこやかなお顔されてましたよねえ。
主の平安が答えですねえ。どんな状況の中でも、主の
平安を下さる」

Dさんが、厳しい試練が次から次へと臨んだ時、それを
試練だと認め、神様の御手からだと認め、受け取る事
を全くして来なかったと言われた。

だから、痛くて、苦しくて、しんどいだけで、何も学んで
来なかった。いつか試練は去り、痛みも苦しみも時間と
共に薄れるが、ただ、状況が去って欲しい、状況が変
わって欲しいと願っていただけの自分自身は、何も
学ばず、変わっていな事に気づかされたと。

神様からの御手のものとして、きちんと受け止めたい。
自分が変えられたい、成長して行きたいと言われた。


わけわからない、しんどい事が次から次へと
来るのと、神を見て、御手からの試練と受け取る
のと天と地ほどの差がある。

学べること、自分が変えられること、成長して行ける
こと。神様を知れること。神様の愛がわかること。