2010年01月16日(土)
「続・ガリラヤで」
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で、神様の思いと自分の思いが違って、つまずいた
ペテロと弟子たちに「ガリラヤに行け。そこでわたしに
会える」と言われた。
ガリラヤはペテロや弟子たちの故郷であり、初めて
イエス様に出会った場所。
信仰が与えられ、献身した場所、人間をとる漁師として
召された所だ。
ペテロの原点、弟子たちの原点。そこに帰れと。
そこで、わたしに会えると。
挫折した時、失敗した時、何が何だか、わけがわからなく
なった時、失望落胆した時、一歩も進めなくなった時、
原点に帰れと。
自分がイエス様に出会った時のこと、献身した時のこと、
祈りが答えられたこと、癒されたこと、心が満たされたこと、
大きな喜びを下さった時のこと、イエス様に深く出会った
時のことを思い出し、そこに帰れと。
そこでイエス様は待っていて下さり、必ずそこで会える。
再び引き上げられる。再び力と喜びが与えられる。
感謝が湧き、恵みを数えられる。
Dさん「ほんとにその通りです。苦しくて、辛くて、どうにも
ならない時、不満と愚痴しか無い時に、初めてイエス様に
出会って、神様の愛を知って嬉しくて嬉しくて、涙が溢れた
時のことを思い出すと、立ち帰れるんです。
そして、心が神様で満たされて、神様さえいて下されば、
もう何もいらないと思った時のことを思い出すと、
もう一度、あそこに帰りたい!と心底思える。
心が変えられて素直にされる。すると、やっぱり神様は絶対良く
して下さる、信じて行こうと思える。すると希望が与えられて、
心が平安になる。その通りです。
今の苦しい試練は、これから将来も何があっても、いつも
ガリラヤへ帰る事を教えるために、与えて下さってるん
だなあと。」
ふとHさんの事を思い出した。
あっちからもこっちらかも、対人関係も経済的にも、非常に
厳しい状況が臨み、もう煮詰まり、重苦しい、しんどい疲れ
果てた、心荒んだ状態で、教会に来た。
メッセージがあり、メッセンジャーはメッセージの内容に
丁度ピッタリの証しを、証し集の中から紹介した。
その証し集は、教会内の日頃の恵みの証しをまとめたもので、
名前は書いていないものだった。
祈りがジャストタイミングで見事に答えられ、まことに神が
生きておられ、愛して下さっているとしか、誰が聞いても言
いようのない証しだった。
メッセンジャーは知ってか知らずか、それはまさにHさんの
証しであった。しかし、前もってコピーし、準備されたもの
であった。
その証しが読まれた時、Hさんの目に涙が浮かび、見る見る
内に涙が溢れた。余りにもしんどい状況に、荒んでいた心に
神様の愛が、恵みが、よみがえった。
Hさんはその日、悔い改め、神様に素直に従って行きたい
と祈りを献げた。
自分にして下さった神さまのみわざに、ご愛に、もう一度
立ち返る時、癒され、引き上げられ、新たな力が与えられる。
また、前に進んで行ける。
イエスは言われた「恐れてはいけません。行って、わたしの
兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。
そこでわたしに会えるのです」マタイ28:10
「そこでわたしに会えるのです」
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