2025年07月04日(金)
  「ゆだねて、平安に」

Aさん

イエス様を救い主と信じ、救われたが、教会も
なかなか行けなかったので、長い間、神様が
わからなかった。

ちょうど、大きな試練が来た時に、教会の平日
の集会に行くようになった。

悩みに悩み、苦しんで、集会での学びで、神様
にゆだねることを教えられる。

神様にゆだねればよいことが、頭ではわかる。

だが、それが、ゆだねられない、

どうしても、ゆだねられない。

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悩みは深まるばかりだが、教会へ行くと、ほっと
した。

しかし、家に帰ると、元のもくあみで、悩みのどつぼに。

また、教会へ行くと、ゆだねなければ、と思う。

しかし、ゆだねられない。

ずうっと、それを延々繰り返していた。

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自分が握り締め、自我が固く握り締めて、どうし
てもゆだねられない。

自分が手を放すと、何もかも崩壊してしまうと思え
てしまう。

だから放せないし、余計に握り締めることになる。


延々繰り返す苦しみ、何もどうにもできず、
もうどん底で、でもゆだねられなくて、皆さんにも
ずっと祈ってもらい、自分も祈っていたので、


その時は、主が、あわれんで特別介入して下さ
ったと思う。

事態を受け入れることができて、導かれて行き、
その事は、無事良いように、収まって行った。


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その後、歳月を経て、今回、大波のような試練が
臨んだ。

不安、心配、恐れは、煩いは、大嵐のように襲い、
吹き荒れ、自分では、いっさいどうにもできず、

心に鉛があるように、重く沈んだ。

今回は、神様におゆだねしますと、祈ることができ
た。

その時、スウーッと心が平安になった。


初めての経験だった。ゆだねると、こんなに楽になる
とはと驚きだった。


自分の最も痛いところに、試練が来たからこそ、そう
できたのかなと思う。神様に感謝でいっぱいだ。