2010年09月03日(金)
  「赦し」

赦すことは人には出来なくて、神様の奇跡のみわざだと
経験する。

赦せない心は、自分から進んで牢獄に入るような
ものだ。手かせ、足かせで、がんじがらめで、
苦しくてたまらない。相手でなく、自分が苦しい。
それも、四六時中、まさに牢獄だ。


Aさん「自分はアダルトチルドレンで、親の事、恨んだり
あれやこれや思ったけれど、ある時、思えたんよ。
親はわからなかったのであり、そうしかできなかったので
あり、彼らは、彼らなりの最善を尽くしたんだって。
その時、赦せたよ。」

それを聞いたBさんが、「自分もアダルトチルドレンで、
Aさんの言葉を聞いて、救われた。
そうなんだと思えた。親はわからずに、そうしかでき
なかった。親なりに、良かれとやって来たんだと。
自分も、赦せた。
カウンセラーがびっくりした。『どうして赦せたの?』と」

神様のみわざだ。

Cさん「クリスチャンのラジオ番組で、父親に虐待を受けて
た人が、父親の死後、2年後、初めて、赦せた証しをしていた。

そこで、彼が、人を赦すことは、自分が受けた痛みを越えて、
自分にその痛みを与えた人の痛みを解かってあげる事
だって・・
その時、あー私は、自分の痛みの中にどっぷりとつかり、
その先が、見えてないというのを神様に見せられたよう
だった・・」

自分の受けた痛みを越えて、自分にその痛みを
与えた人の痛みをわかって上げる・・

神様の世界、御霊の世界だ。
肉、自我とは何の関係も無い。

Dさん「どうしてもある人が赦せなくて、苦しくてたまら
なくて、赦そうとするが、赦せない。もう限界になって、
『神様、赦せない私を赦して下さい』と祈った
んです。すると、赦せた。
あんなに苦しかった苦しみが、嘘のように思い
が消えて、解放されたんです」

Eさん「どうしても赦せない人がいて、心苦しいし、
悶々状態。どうにもできなくて、『神様、赦すこと
ができません』と祈っていたら、それが、赦す
心が上から与えられた。
心が解放されて、自由にされて、本当に牢獄から
出ました」

人には出来ないことが、神にはできる。
赦すことができません、と祈って行く時、
神様が赦す心を与えて下さる。