2011年06月03日(金)
  「思い出」

久し振りに会ったAさん、一緒に教会生活をしたのは
もう17,8年前になる。思い出話に花が咲く。

「あの頃、楽しかったね」「まあ、色々あったね。試練の
人たちばかりで、もう必死に祈ったね。懐かしい」

いつも夕拝後、午前0時まで喋りまくり、0時の声を聞くと
「そろそろ帰ろうか」

すると、CさんとDさんが「今からマックに行く」とか、
EさんとFさんは「ファミレスにコーヒーを飲みに行く」
「先生たちも一緒に行こうよ」。「ひえ〜〜」(>_<)だった。

皆が半端でない苦しみの中にいたから、交わりが支えで
あり、交わりに交わった。

Kさんが夜中の2時に、Jさんに電話をして「今から行って
もええ?」Jさん「ああ、ええよ」。
KさんもJさんも、大変な試練の中にいて、「神様の話
しかしない」。

厳しい試練にあったBさんが、もう大声で、全身で
力いっぱい、叫び上げると言っていた。

「神様ー!苦しいーー!感謝せい言われても、
感謝でき〜〜ん!!ほんまに見てくれとってんかーー!!
わかってくれとってんかー!!」

少しでも時間があれば、とにかくすぐに聖書を開いて、
食い入るように、読んでいた姿が浮かぶ。
苦しい試練の中で、神様をあがき求めていた。

当時、正直に祈るということを、神様から教え
られていて、気持のそのままを神様に訴えた。

Oさんが、アメリカ人のご主人が教会でクラスを
持つのを一緒に奉仕することになった。

夫婦で祈った時に、Oさん「神様。私はしたくありません。
私はしたくありませんが、でも、神様に従いたいので、
神様にしたがうゆえに、夫に従い、この事をします。
お委ねしますので、私を助けて、導いて下さい」と祈った。

「もう、主人が目を丸くして、それはびっくりしてたよ。
今、日本人集会で、神様から正直に祈るることを、皆で
教えられてるんだと話すと、

主人が、ほんとに驚いて、しーんで、しばらくして、
『うん。僕もその方がいいと思う』と。」

「沢山の祈りが、次から次へと答えられて行ったね」

「目の前で奇跡に次ぐ奇跡を見て行ったね」

自分自身も神様から、ものすごく教えられた
交わりだった。