2011年09月02日(金)
  「苦しみにあったことは」

半端でない、苦しい、辛い試練に会った
方々の口から、聞いた御言葉。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせ
でした。私はそれであなたのおきてを学び
ました」詩編119:71

夫が出て行ってしまったAさん、泣いて泣いて
涙がよくこれだけあるんだと思うほど、泣いた
と。辛くて、苦しくて。涙、涙にくれたと。
夜になると、号泣し、祈りに祈る日々だった。

1日終わる仕事からの帰り、涙が溢れては、
車を止めて、心にピッタリと来る、慰められる
賛美歌を賛美しては祈ったと。

祈りに祈り、必ず神様が夫を返して下さると
信じ、賛美しては、祈り続けた。

心が裂かれるような辛さの中で、もう一歩も
進めなくなった時も、しゃがみ込んだ時も、
主は様々な方法をもって、慰め励まし、
信じさせて下さった。

そして、信じた通りに、祈り願った通りに、
主は回復させて下さった、

「この事があって良かった。自分自身の
高ぶった姿を見せられ、この事が無かったら
自分はどうなっていたかわからない。
砕かれたと思う。心底、神様が嬉しくて、
感謝しかない。
苦しみに会ったことは、幸せだった」


離婚を通ったBさん、ひと息、ひと息、息を
吸うことがやっとだった日々。
泣いて、泣いて、泣き暮らした日々・・

しかし、時を経て、はっきりと言えた「苦しみに
会ったことは、私にとってしあわせでした」。
神様は真実であられた。

そして、その後も、大きな厳しい試練が臨んだ。
辛さ、悲しみ、怒り、様々な感情で、心が荒れ
狂い、苦しんだ。

でも、今、又、言えると。かつての時と同じように
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせ
でした。あなたのおきてを学びました」と。

自我を、自分の姿を見せられ、神様を深く
教えるために、この事が与えられたとわかると。


様々な事態を通るけれど、「苦しみに会ったこと
は、私にとってしあわせでした」と、言えるように
して下さる、主がどんな時も共におられることが
本当にしあわせだ。