2012年03月01日(木) 「とどまっていれば」
雑談の中でも、とても恵まれる。 「挨拶しても、挨拶が返らなかったり、こちらの 言うことも無視される状況があって。 神様を知る以前の自分なら、もう怒りで、当然の ごとく、こちらも無視し、敵対心をあらわにしていた と思う。 でも、神様知って、何でも祈ることを教えられ、 その事も祈っていると、御言葉が来るんです。 「あなたの隣人を愛しなさい」 「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」 「自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、 どれだけまさったことをしたのでしょう。 異邦人でも同じことをするではありませんか」 御言葉が来ると、神様に従わざるを得ないというか、 今まで、従うと、必ず導いて下さったので、従おうと 思えるんです。 そして、自分サイドでは、気持ち良く挨拶し続けた んです。挨拶が返って来なくても、挨拶し続けていると、 自分の心に平安が与えられて、自分は平安に守られ て、本当に神様すごいと、神様を感じます。 神様を知らなかったら、今頃、火花が散ってました(笑)」 「私も変えられたなあと感謝です。 以前は経済的困窮が来ると、もうパニックになって、 恐れと不安、思い煩いに飲み込まれてしまっていた。 全く平安が失せ、喜びも無く、心は真っ暗で、落ち込んで 行くばかり。 でも、今までずっとどんな瀬戸際の時も、神様は絶対 に与えて下さった。それを繰り返し繰り返し経験して、 そのつど、懲りずにパニックを繰り返すんだけど、 ちゃんと与えて下さって。 今、困窮状態なのに、平安なんです(笑)神様、絶対に 与えて下さるから大丈夫だと思える。こんな事、人生 の中で初めてです」 「以前、神様に腹を立ててた(笑)経済的必要を絶対に ギリギリで必ず与えて下さった、 だのに、そこに神様の愛や恵みを見るのでなく、 与えて下さるのなら、こんなに恐れて不安な状況に 置かずに、すぐに与えてくれたらいいのに。 こんなに不安にさせて、神様は、いじわるだと(笑)」 「神様にとどまっているなら、見方も思いも変えて、 必ず導いて行って下さるんですよね。 だから、霊的に行き詰まりも経験するけれど、 それも大丈夫だと思える。 今まで導いて下さったから、この状況も次の段階 へと導いて下さるんだと思える」 「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの 中にとどまります」 ほんとに見えないし、自分で自分がわからないし、 「哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを 知らない」黙示3:17自分だが、軌道修正し、 正し、導いて下さることが感謝で感謝でならない。