2012年05月06日(日)
  「願望」

Aさんが証ししてくれた。

「どうしても欲しい願い事があり、どんな事があっても
欲しい。
必死に祈り、祈りに祈り、祈り倒す勢いで祈った。
でも、与えられなかった。
どんなに祈っても、どれだけ祈っても、与えられなかった。
欲しくて、欲しくて、願望がどうにもならない。
どんな手段を使ってでも欲しい、余りにも強い欲求・・。

その時に、聖霊様に示された。
自分の強烈な願望があるばかりで、神様のみ思いなど
全く眼中にない。発想もない。

自分、自分、自分・・これなら、願望を満たしてくれるなら
別にイエス様でなくても、何でも良いことになってしまう。
偶像だって構わないことになる。

神様にへりくだって、従うのでなく、神様から、恵みを
もぎ取ろうとしている自分の姿を見せられ、本当に
恐ろしかった。
恐くて、恐くて、心底悔い改めた。号泣だった。

その時、あれほど、どうにもならなかった、強烈な願望
が消えた。無くなってしまった。
もう、持っても持たなくても、どうでも良くなった。
心底、いいやと思えた。
不思議だった。心が解かれて、自由にされた。
そして、喜びと平安が心に満ちた。」

それが、驚くべき事に、その願望が、その後見事に叶えら
れた。
神様の大きな恵みであり、プレゼントであり、奇跡であった。


Bさんが「あ、私も、神様の恵みをもぎ取ろうとしている。
自分の強い思いがあって、自分の思い通りに叶えて
欲しい。
自分の強い思いがあって、それに固執する。

それって、神様に従っているのでなくて、神様を自分の
思い通りに動かそうとしていることですよね。
気づけて感謝です」

Cさん「おんなじです。すごくわかる。
どこまでも、自分の思い通りであって欲しい。神様に
そのように動いて欲しい。そうでないと嫌だ。

自分が納得する範囲で従うなら、本当の意味で、
全然従ってないですよねえ。
この自分の思いが砕かれて、従って行けますように」