2014年04月06日(日)
  「イエスに向かって」

カナの奇蹟の箇所を学んでいた。

“ぶどう酒がなくなり、母がイエスに向かって
「ぶどう酒がありません」と言った”

“イエスに向かって”言った。
何か事態が起きる時、まず何とかしなければ
との思いが来て、自分が立ち上がって、自分が
判断して、パニックになる。

しばらくしてから、「あ、祈りだ!」と気づいて、
主に向かって祈る。

「どうしても、即、祈りにならない。必ず、自分が
まず動いてしまいますよねえ。
瞬間反応してしまって、どうしようかと、頭を巡ら
している。
でも、どうにもならないので、心がどっと暗くなり、
思い煩いでいっぱいになる。

まず、“イエスに向かって”が、繰り返し失敗しな
がら身につくようにですよねえ。
でも、気づかせて下さることに感謝です」

そして、“水がめに水を満たしなさい”と主が
指示を与えられた。示しに従った時に、水が
ぶどう酒に変えられた。奇蹟が起きた。

次に主の御声を聞いて、主の指示に従う。
すると、生活の中で、奇跡を経験する。

これがまた、祈ったからよいと、御声を聞かないで、
主の導きを待たないで、自分で動いてしまう。
自分で良かれと動くと、的はずれになってしまう。


「夕食作ろうとしていた時に、子供がひどく
ぐずり出して。
夕食作らなければならないし、でもぐずり方
が普通ではない。

夕食準備したいし、時間が迫ってるし、焦って
来る。肉の思いでは、とにかくちゃっちゃと、早く
作ってしまいたい。

でも、神様!と、心の中で主に向いたら、これは
どうしても、今、子供に関わってやった方がよい
との思いが与えられて。
夕食は委ねて、そうしようと思い、子供にじっと落
ち着いて向き合ってやってたら、子供の心も落ち
着いて着て。

でも、夕食の時間に、食事は全く作れておらず。
夕食が無い。
すると、夫から電話がかかって来て、「今日は無い
ことに早く帰れるから、外に食べに行こう」と。

思わず「神様有難う!」神様が働いて下さった。
ほんとに感謝で、嬉しくて。

神様を見上げなかったなら、子供の気持ちも
無視したまま、自分は夕食を作らねば!と
そっちに行っていたかも知れない。

何か起きた時、まずイエスに向かって祈り、
示されたことをする時に、神が働かれ、
みわざを見る。

「何か信仰生活、失敗ばかりするんですが、
失敗の連続なんですが、いつもそこで主を
見上げて、そこで従って行く時に、水を
ぶどう酒に変えて下さるんだなあと。

今まで、振り返っても、ずっと水をぶどう酒に
変えて来て下さったなあと。感謝です」


無くなった時のぶどう酒より、更に「良いぶどう酒」
を与えて下さる。