2014年05月07日(木)
  「赦せた」

ずっといじめに会っていたAさん。

「辛くて、辛くて、帰宅すると、涙が溢れて、
でも、責任があって、どうしてもその仕事を
辞めるわけには行かず、苦しい日々が続いた。

その仕事の関係上で、自分が目立ってしま
うので、妬まれてのことだと思う。

辞めたいと思うが、承諾したのは自分であり、
中途放棄することは、それは自分の気持ちに
とってもできないことだ。

しかし、辛くて、帰宅しては涙の日々。
段々、自分の中に、相手への憎しみが生じて
来る。
赦せない思い、怒りも心に出て来る。

自分はクリスチャン、憎んではいけないと思うが、
憎しみは募り、赦せない思いはますます強く
なって来る。

しかし、そうなれば、いじめられて辛いのでなく、
自分の憎しみと赦せない思いで、胸が苦しく
てたまらない。

全く平安が無い。その事が頭に無い時だけ、
目の前の事に心が奪われ、忘れている時だけ
逃れられるが、その事がまた頭に浮かぶと、心が
辛く、苦しくなる。

楽しい時も楽しくなく、心が苦しく、重く、沈んで
しまう。
赦せない思いが、どうにもならない。

せっかくの楽しい時も、その事が浮かぶと心底
楽しめない。心が暗くなる。

ほんとに御言葉にある通り、赦さないことは
牢獄の中にいるようで、囚われの身であること
がわかる。

その苦しみの中から、祈り、神様を求めていた
時に、このままなら、結局、赦したくない相手に
一生自分が縛られ、自分がコントロールされる
ことに、気づかされた。

そんな一生は絶対に嫌だ、そしてこの苦しみから
解放されたいと祈った時に、初めて「赦します」と
決心し、神様に告げた。
赦そうとの、意志を主に向けることができた。

その時、『解放されたんです!』
あの苦しみ、重苦しさ、辛さ、暗さが無くなった。

そして、仕事の契約期限も全うできて、その場を
退いた。
すべて、神様の取り扱いだったのですね。感謝
でした。」


Bさんも、いじめに会った。

カルチャーサークルで、自分は以前からその習い事
をしていたので、他の人々より、うまくできた。
それが突出していたので、目立ってしまい、いじめ
に会った。

自分に向けられたきつい言葉や態度、攻撃、
辛くて、辛くて、帰宅しては涙が止まらなかった。

自分の大好きな、自分のしたい事であり、辞める
のも違うと思う。

祈っていると、相手のいろんな言葉や態度、行動
から、自分が妬ましいのだと、思われた。
妬みから、そのような行動に出ていることが感じ
られた。

しかし、自分は辛くて、その辛さゆえ、やはり相手へ
の憎しみとなって行く。

辛さも憎しみも何もかも、心の内を告白し、自分の
憎しみは悔い改め、主の御前に祈っていた、

その時に、相手を受け入れられない思いと、憎しみ
でいっぱいだったのが、不思議に自分の心が変えられ
て行った。

自分を妬んで、いじめて来る相手に、そうしかできない
相手がかわいそうに思えた。

そして、相手の祝福を祈っている自分がいた。
これは自分ではなく、御霊様だった。

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赦せることは奇跡で、人には出来ない。
神様の働きであることを見せられる。
主が、赦す心を与えて下さる。