2014年08月01日(金)
  「思い煩いが失せて」

Aさん「私、若い頃から、というより子供の頃から、
人何倍も、ものすごい思い煩い症、心配症だった。

ああでもない、こうでもないと、目の前の一つ一つが、
ずうっと不安で心配でならない。
目の前の事も、過去の事も思い煩い、先の事も
不安で、心配の種は尽きない。

その思い煩いで、胃もしょっ中痛くて、生まれつきの
性質なんだと思った。

それが、イエス様に出会って、イエス様を信じた時に
全く心配が無くなった!

信仰生活、もちろん試練はあるし、苦しみもあるん
だけれど、信じる前と全然違う。

根本から、心配症で無くなってしまった。
自分が、変えられてしまって、神様本当におられて、
神様、すごいと思った。
身をもって、神様がわかった。」


Bさん「自分にはどうして良いかわからない、どうにも
できない悩みに会った時に、教会に飛んで行った。
以前からたまに行っていたが、その時に、イエス様を
信じて、救われたと思う。

その悩みがあったからこそ、イエス様のもとへ行けて、
感謝だった。

でも、その時はわからず、後でわかったことですが、
救われたが、自我は固く、自分の思いと自分の力が、
ものすごく強かった。

自分が、自分が、と思っているので、信じた後、
次の試練が来た時に、全部自分の肩にかかって
しまうから、ものすごくしんどかった。

試練の厳しさに、平安などなく、ただただ苦しいばかり
だった。
あとでわかるが、自分の力でしているので、力尽きて
しまい、一歩も進めなくなってしまった。

委ねるも委ねないも、もうどうにもならず、委ねざるを
得なくされた感じだった。

「明け渡します」と祈った時に、何もかも変わってしまい
本当に驚いた。

あれほど重荷にあえぎ、しんどくてしんどくて、苦しかった
状況。その、状況は何も変わらないのに、思い煩いが
消えてしまった。

自分は何もできない、思い煩ったところで何もできない、
神様が一番良いようにして下さる!と、思えるんです。
それも、神様の時があるから、じたばたしてもどうにも
ならない。
委ねていようと、思えるんですよ(*^_^*)

感謝です!!」