2014年11月04日(火) 「水の中を過ぎるときも」
離婚を通ったAさんが、証しをしてくれた。 ある日突然、離婚を告げられて、もう青天のへきれき だった。 何の予兆もなく、そんな素振りのかけらもなかったので、 頭が真っ白で、わけがわからず、大きな厳しい試練 だった。 もう愛が無いんだと言われた。これはもうよくよくのことで 相手が決心した事で、心が定まっているのがわかった。 もう変わらないと思った。 でも、振り返り、考えた時に、自分に色々思い当たった。 自分の非が思われ、受け入れざるを得ない、受け入れ ようと思えた。 しかし、突然の出来事で、悲しみ、戸惑い、悔い、 これからどうすればよいのか、何もかもがどおっと来て、 わけがわからず、心は沈み込み、気力が失せ、 朝ベッドから起きて、息をするのがやっとだった。 生きているのか、感覚もわからなかった。 月日を経て、振り返った時、 “あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともに おり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。 火の中を歩いても、あなたは焼かれず、 炎はあなたに燃えつかない”イザヤ43:2 あの絶体絶命の、深い水の中を過ぎた時も、主は 共におられた。 住まい、仕事、必要のすべてが備えられ、何一つ欠ける ことが無かった。 元夫は、チャイルドサポートも忠実に最後まできちんと 入れてくれた。 霊的、経済的、精神的必要な助けが、必ず与えられた。 主は真実に支え、守って下さった。子供たちは巣立つ 事ができて、今までの守りを感謝するばかりだ。 離婚を通って、いかに自分の信仰が自分中心であった かを教えられた。 大きな厳しい試練であったが、それが無ければ、一生 わからないまま信仰生活を終わったと思う。 “私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。 彼にはご自身を否むことができないからである” Uテモテ2:13