2015年05月10日(日)
「神の時」
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「『時』ってありますねえ。
『神様の時』は深いですねえ。私は長い間イベント時
だけ教会に来ていました。
お話聞くことは嫌ではなく、でも、全然心には入らない
というか、しっかりガードして、入れなかったんでしょうね。
神様に頼るなどと、とんでもない。自分の力で生きて
行きたいし、自分の力でやりたい。
それが命だったですねえ。
やっぱり自分の力でやって、自分が認められたい、
自分が評価されたいんですよねえ。
だから、心がシャットアウトしてるんでしょうね。
御言葉聞くことは嫌ではないが、全く、全然
心に入れてなかったです。
その時は、それも意識していないので、わからなか
ったですが。
だから、御言葉が全然わからなかったです。
誘ってくれた友達が、学びの時に、御言葉聞いて
横で泣いていて、なんで泣くんだろうと、全然理解
できなかったです。
でも、食事会やら楽しいし、皆、いい人だし、長い
間、年1回の時もあり、でも来てましたね。
それが、それが、自分ではどうにも出来ない試練
にぶち当たり、以前から知っていた教会に飛び込
んで来て(笑)
神様のあわれみですね。
御言葉聞こうとの姿勢にされて、そんな中、更に
大型試練が臨んで、もうバーンアウトで。
何もかも明け渡した時に、ほんとに生まれて初めて
平安というものを知って。
もう平安で平安で、楽で楽で、よく今まで神様
知らないで生きて来れたなあと。
でも、自分の力で頑張っている『時』も、神様は
見ていて下さって、自分には必要だったんだと。
自分は、そのしんどさを通らないと、神様知れなか
ったんだろうと。
試練の『時』も感謝で、それが無かったら、絶対に
神様のところへ行っていないです(^^;)
平安の無い苦しい、しんどい『時』も通ったから、
平安の素晴らしさを味わえるわけで。
意味のない『時』は無くて、すべての『時』が
神様の『時』だったと、振り返る時、感謝です。」
“天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある”伝道3:1
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