2016年01月05日(火)
「からだは一つ」
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昨年末のこと、Aさんと学びをしていて、
教会は「キリストのからだ」の箇所を学んでいた。
器管は多くあるが、イエス様をかしらとして、からだは
一つであること。
一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、
もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに
喜ぶ。
指先をけがした時、指先は勿論痛いが、指先だけで
なく全身に痛みが走る。
一人が苦しめば、全体が苦しみ、一人が喜べば全体
が喜ぶ。苦しまなければならない、喜ばなければなら
ないでなく、そうなる。
霊のいのちで繋がれている、この世には無いすごい
ものだなあと覚えさせられる。
年末のクリスマスには、何年も祈り続けていたAさんの
ご主人と家族が初めて礼拝に来て下さった。奇跡だった。
何人もの人々が「今までどんなにか仕えていたAさんを
目にしていたので、もう、見た途端、心にググッーと来て、
それだけでも恵まれ、感動でした!」
そして、自分に出来る事として、Aさんは、特伝の度に
少しづつ地道に一人でチラシを持ち帰っては、配布
して下さっていた。
何と、Aさんの配った中から、新来者が来会!!
最近はチラシでは、もうほとんど来ない中、奇跡。
教会皆で、大喜び。一人を通しての喜びが全体の
喜びとなり、喜びが何倍にも!!
学んだ事が、ジャストタイミングで、目の前に見える形
で、ピッタリと現われ、解き明かされているようだった。
“しかしこういうわけで、器官は多くありますが、から
だは一つなのです”Tコリント12:20
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